大自然の大いなる生命の御心による御意志のお力お働きでこの世界のすべてが現されています。その御心の一部を頂き、私たちは自分だけの固有の心を持つことができています。この世界のすべてが御心によるお気持ちで現されているのですから、私たちの心にも大きな力を頂いているようです。ですが私たちはそのこともわからず、気持ちの力の使い方もわかりません。
この地球の未来のために本当の気持ちの力を学び、みんなの気持ちを合わせて生きていくことができればどれだけ素晴らしいものになっていくでしょうか。そのためにどんな意識、気持ちを持たなければならないのかを少し考えてみましょう。
強く実感することで気持ちの力が働く
大親神大生命よりすべての生き物は永遠の生命と、どこまでも高く発展していくことができる心を頂き、大自然界の素晴らしい神の世界に活かされ生きています。
大親神大生命の御心により大自然界のすべてが現されています。その御心の一部を頂いた私たちの心も大きく成長し発展していくために、自由に変わっていける仕組みにして頂いています。意識や気持ちは自分の意思で変えていける力を頂いています。
生きることとは意識を通した気持ちの活動です。生きていくことでどこに意識を向け、その結果どんな気持ちになり、その行いでどんな思いを味わっていくのかの連続です。その時々に感じた気持ちを蓄えていくことで心が少しずつ創られていくようです。何かをするのもすべて思いを持つためです。そしてその思いは何らかの形で自分にとって満足する気持ちを求めています。
すべての生き物にとって食事をすることは欠かすことはできません。食事とは身体の維持に必要な熱量の元となるものや栄養を取り入れることですが、それ以上に大切なのことは、美味しさであり食欲が満たされた満足感を得ることです。できればより自分の好みにあった食事を気の合う人たちとともにし、その場の雰囲気や会話を楽しみながら頂きたいと誰しもが考えます。単に食欲を満たすだけなら動物と変わりません。空腹をうったえているのは身体ではなく心であり、食事は美味しさを感じお腹が満たされることで幸せを感じる行いです。
あらゆる生き物は心を満たすために何かをしています。欲求が行動を呼びその結果何らかの気持ちを得ることができる。ですが気持ちとはそんな小さなものではないようです。
私たちはそんな気持ちの大切さをまったく気にすることもなく暮らしてきました。喜びや腹の立つこと、悲しみや楽しみをそれほど大きなことと思うこともなく、自分の意識がどれだけまわりに影響を与えるのか、意志の力がどれほどのものなのか考えてみることもありませんでした。
大自然の大いなる生命の御心のお力お働き、御愛の御意志によりすべてが現わされています。そのお気持ちによりすべてがつくられ生かされています。気持ちにはすごい力があり、私たちの気持ちにも同じ生命のお力お働きが生きています。
私たちであっても生命と心、そして身体を使わせて生かして頂いていることに心の底から感謝し、御心に沿った気持ちをつくり上げれば気持ちの力を少しずつ使わせて頂くことができるようです。それには今のようにぼんやりと思っているだけだはなく、意識を集中し強い念にしなければなりません。御心に沿った念の力は必ず御心に届きます。
思っている通りにしか生きられない
今のこの物質体の世界には様々な制約や限界がありますが、気持ちや意識にはそういったものはありません。想うこと考えることはまったく制約を受けることのない自由なことですが、毎日の生活の中ではそう自由な気持ちで生きられるわけではありません。社会の秩序を守り慣れ親しんだことをしていれば、そんなに頭を使わずとも生きていくことができます。そうした楽な生き方をしていると自然と心は小さくなり、子供の頃感じたような好奇心や冒険心はだんだんと消え失せてしまいます。
そして私たちは自分の意識の中に枠を作ってしまい、その枠の中の意識で生きていこうとします。気持ちや意識は本来何にも縛られることのない自由なものですが、いつの間にか今の世界でつくった意識に支配されてしまいます。自由さは失われ弱々しい卑屈な気持ちで、退屈な一生を送らなければなりません。
そんな小さな心ですからすぐに弱音を吐き何かに救いを求めます。本当にいるかもわからない神仏に手を合わせ助けを求め現世ご利益を願います。そうして自分さえ助かればいいという自分中心の心をつくってしまいます。
この人生は心を発展させるために頂いた尊いものです。心の発展とは高い意識、崇高な気持ちになっていくことであり、自分中心とはまったく逆の方向です。崇高さとは己を捨て少しでも他を良くしていこうとする尊い気持ちです。まず考えるのは他のこと全体のことであり、自分のことはどうでもいいという意識であり、他の利を大切にし自分のことは二の次三の次といった精神です。
自分のことだけを考え生きていても、その人生で本当の達成感や充実感を得られることはないでしょう。大自然の摂理に沿っていない分虚しさの方が大きいかもしれません。高い崇高な意識になるための行いは、その行い自体に価値があり喜びも数段上の気持ちが味わえるようです。それが御心に沿った本当の生き方です。本気になって高い意識を求める気持ちがあれば、その気持ちの力で素晴らしく生きていくことができます。
ですから日常の一瞬一瞬どんな気持ちで生きているかがとても重要です。常に生きていることへの感謝の気持ちと他に喜びを与えることを思い生きていくことができれば、それは大いなる心の発展となっていきます。
気持ちは自分だけのものではありません
今地球に住んでいる私たちの気持ちはばらばらで、倫理道徳や価値に対する考え方もまちまちです。地球全体として統一された指針がなく、国、民族、宗教宗派といった人が属している団体によってそれぞれに違う思想に向かっています。
本来であれば世界中の人たちが、生命の大親に活かされ生きる感謝と感動の気持ちを持ち、地球全体が尊い生命を頂いた生命の家族として、気持ちを一つに束ねることで地球全体に大きな素晴らしい力が働くはずです。ですが人それぞれにみんな違う方向に意識を向けているために、地球全体としての力にはなっていないようです。これから先はみんなが少しずつ意識の方向を揃え、輝ける地球の未来に向かって一つにまとまっていく意識が大切になってきます。今はまだ意識の方向は違ったとしてもみんな幸せに生きていきたいと望む心は一緒だと思います。みんなが素晴らしく生きていくためにまず自分が変わりましょう。
私たち一人ひとりの気持ちや意識が、地球全体の気持ちの力をつくっていきます。弱肉強食といった野蛮な意識はもう必要ありません。世界中の人たちが国家民族の垣根を越え、大自然の摂理に沿った素晴らしい気持ちで生きていく転換点に来ています。
大自然のすべてに発展していくお力お働きがあります。一つの生命にも例外はありません。心を発展させていけば気持ちも思いもすべてが発展し、生きる喜びも感謝の気持ちもますます大きく発展していきます。そのために頂いた生命のお力お働きですから、そのように使うのが正しい使い方です。
本当に生きていることに感謝と喜びを心から実感できるように心を高めていくと、今までとはまったく違う感じで日々暮らしていくことができそうです。
生きてるということは何らかの役割りがあります。生命の感謝と役割りを果たす喜びで心は光り輝いていくそうです。みんなで心の輝きを高めていけばそれは美しく調和した眩しいほどの灯となり、暗闇を明るく照らし出すことができるでしょう。
この人生の価値はどれだけ素晴らしい気持ちを蓄え、心に刻むことができたかです。その気持ちはずっと消えることはありません。その気持ちを味わせて頂くためにすべてをしてくださっている生命の大親に心からの感謝の念をつくっていきましょう。それも役割りの一つでありさらに素晴らしい気持ちを頂くことができます。
大自然の大いなる生命のお力お働きによりすべての営みが成されています。
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