この世界は大自然の大いなる営みによってなされています。私たちはごく当たり前のように生活していますが、この営みがあればこそ私たち全ての生命が素晴らしく生きてゆくことができます。大自然の営みには大きな流れのような自然の摂理があり、その流れに沿って生きてゆくことが大切です。大自然の大いなる営みについて考えてみましょう。
1.生命の大親 がお創り下さった大いなる世界
この世界は大自然の大いなる営みによってなされています。これだけではよくわかりませんね。営みとは大きな時の流れのようであり変わってゆくことだそうです。時が流れ変わってゆく、立体的で奥行きのある世界のその営みである大きな流れの中で私たちは暮らしています。時が流れるが当たり前のように思いますがそうではなく、そのようにしてくださったのだそうです。生命は営みがあることで「生きる」になります。生命の大親 は私たちに素晴らしく生きてゆくための力と、それを使いたくさんの思いを感じ表現する舞台、そして時を用意してくださいました。それがこの大いなる世界の大いなる営みです。その大きな流れはけして止まることなく続き、向かう先は素晴らしさでありこれは決して変わることはありません。
2.なぜ素晴らしい気持ちで生きられないのか
私たちは素晴らしく生きるためのこの世界で、素晴らしく生きられる力と働きを頂きその営みの中で生活しています。でも毎日本当に素晴らしい気持ちで生きていますか。むしろ不平や不満、心配や苦労、言いようのない不安や憤りといった気持ちのほうが多いのではないでしょうか。好き好んでそのような気持ちになってはいないと思います。誰だって嫌な気持ちで生きるより、素晴らしい喜びの気持ちで生きていくほうがいいに決まっています。ではなぜ素晴らしい気持ちで生きることができないのでしょうか。それは本当の親もわからず、大自然の大いなる営みの中で生かされていることもわからないので、やみくもに自分勝手な生き方をしているからだと思います。大いなる営みの流れに沿って生きるためにはその原理や法則がわからなければなりません。
3.自然の摂理に沿って生きてゆく
この世界で素晴らしい気持ちで生きてゆくためには、仕組みをわかり原理や法則を知らなければなりません。それが自然の摂理であり、大いなる営みの流れに沿って生きることのできる方法です。これはずっと変わることのない絶対なことであり、本当のことですので自分の気持ちは全く通用しません。自分が思うことと全く逆の方向に進まねばならない時もあるでしょう。自分の気持ちと違う時は自分の気持ちを変え流れに合わさなければなりません。でもそこでがんばって流れに沿って生きていけば今まで感じたことのない遥かに大きな素晴らしさや喜びが必ず待っているはずです。そのことがわからないからつい楽な方へとながされ、素晴らしい喜びを知らずに私たちは生きているのだと思います。生命の大親 が素晴らしく生きてゆくためのものをすべてお与え頂いております。しかし何もしなければ素晴らしさを味わうことはできません。素晴らしさに向かいがんばった分だけ素晴らしさを味わうことができるのだと思います。
素晴らしさに向かう流れとは全く逆の方向に向かう流れもあると思います。むしろ私たちはその流れの中にいるのかもしれません。その流れは低い方に向かう流れです。その流れに乗ることは大変楽ですが、そのまま流れに身を任せるとどんどん低い方に落ちてゆきます。サケは卵を産むために急流に立ち向かい、がんばることによって子供を残すことができます。それも自然の摂理だと思います。がんばらないもの、努力しないものはやがて消え去ってしまう。それも自然の掟だと思います。
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