大親神大生命 大自然の大いなる生命のお力お働きによりすべての生き物は、永久なる生命と、どこまでも限りなく発展していくことのできる自分だけの心をいただくことができています。生命にはあらゆるものが素晴らしく発展していくお力お働きがあり、大自然界はすべてが成長発展していく大いなる生命の大親の世界です。
大自然界に活かされ生きている私たちも、素晴らしく発展していくとても大切な時をいま現実に過ごすことができています。
大自然の事実をお授けくださっています
大親神大生命 大自然の大いなる生命の御心が、いま現実に人のお姿をして私たちにわかるよう大自然の事実をお伝えくださっています。まだ幼く御心のわからない私たちに、私たちの言葉で本当のことをお授けくださっています。この美しい地球を失くしてはならない。尊い御心により私たちが考えもつかないことを、地球を救うためにお授けくださる特別な時が流れています。この特別な時はもう二度と訪れることはないようです。これからは私たちがお授けいただいた大自然の事実を未来に伝えていかなければなりません。
私たちは大自然の事実を知らずにずっと生きてきました。本当の生命の親により生まれさせていただいて、御愛に包まれここまで生きることができていることも知らずに。生命の大親はすべてのものを素晴らしく生かそうとしてくださる親の愛で、あらゆることをしていてくださいます。生命の親がいてくださることも、大きな親の愛に包まれ生きていることもわからず、心の奥にずっと寂しさや不安を抱えながら生きてきました。
幼く未熟な私たちは親の愛を感じることもできずに、生きる意味や目的を持たぬまま成長し、今の人の社会を築いてきました。幼い心のまま長い間にわたり対立の歴史を歩み、最初は小さかった憎しみをより大きな争いにまで育ててしまう結果を招いています。対立する気持ちは増々膨れあがり、このままでは地球を破滅させてしまうところまできています。生命の親がわからない不安や憤りは破壊的な思いをつくり、他を攻撃することで自分を守ろうとしたのだと思います。
対立する憎しみや怒りはあらゆるものを壊そうとする気持ちです。みんなが幸せに暮らしていくための地球をも壊してしまう事態を前にして、手をこまねいてばかりではなりません。
今までにも地球にはたくさんの教えと呼ばれるものがありました。その教えは大自然の事実ではなく人が考えたものです。ですから長い歴史の中で教え本来の意義は消え、体制を維持するためだけの道具と化しています。幸せに生きるための教えであったはずが、財を得るための手段に変わり、時代に合わず都合の悪いところは隠されてしまいました。そんな教えであれば人の意識を高められるはずもなく、まして地球を救えるわけはありません。
大自然の事実。それは人の都合によって変えられるものではありません。何時いかなるところ、あらゆるものに用いられる絶対なものでなければ大自然の事実ではありません。
生命は時空を超えた存在です
大親神大生命 大自然の大いなる生命のお力お働きは時空を超越した永遠普遍なるご存在です。あらゆるものの生命もその一部をいただいたお力お働きですから永遠になくなることはありません。生命は始まりや終わりのある限りのあるものではなく、時間や空間になんら影響されることのない永久なるお力お働きです。
私たちが生まれた死んだと考えていたものは、身体を使わせていただく活動の始まりと終わりであって、命のある心をいただいた生命の御子生命霊としてこれまでも、そしてこれからもずっと生き続けます。永久なる生命のお力お働きをいただき、どこまでも心を発展させていく時空を超えた生存の活動です。
私たちはこの一生の間だけが生きられる期間と思い、死んでしまえばすべてを失い、自分が消えてしまうような恐れを感じながら生きてきたと思います。この世に生まれ、世間の荒波にもまれながらもつかの間の幸せを貪り、やがて老い儚く消えていく。人生は一瞬の夢やまぼろしといわれることも多くありました。そんな将来を見通すことのできない気持ちが不安をあおり、心の中から向上心や冒険心を奪い、いっときの享楽を追い求める生き方しかできなくしてしまったのかもしれません。
生命は時空を超え、どこまでも成長し発展していくことのできるお力お働きですから、人生を一瞬の儚いものと捉えるのではなく、心を大きく成長させるありがたい機会と考えてみましょう。人生の価値はどれだけ心を高められたかによって決まります。自分の気持ちを満たすことが価値ある人生ではありません。お金や権力といった消え去ってしまうものばかりを追い求めて生きるより、ずっと消えることのない大きく豊かな自分の心を大切にしていきましょう。
人の持っているお金や物、権力を求める欲求には限りがありませんから、それをどれだけ努力して手にしたとしても、心から満足を得ることはありません。それはそんなものでは決して心が満たさることはないということだと思います。心が求めているものは違うものです。
本当の喜び、幸せは違うところにあるのでしょう。本当の喜びを知らないから生きること、生命をいただけたことの感謝が湧いてくることもありません。生きていることを喜び、あらゆることに感動する。そんな豊かな心をつくるために、今の身体を使って生きられる物質体の世界をお創りくださいました。
心は生命のお力お働きにより活動することができます。ですから心は私たちに、もっと大きく豊かになりたいと訴えているのかもしれません。この人生が終わったとしても、自分が死んでしまったり消えてしまうことはありません。生命は永遠普遍のお力お働きですから自分の心はずっと生き続けます。
この人生において手に入れた物やお金、地位や名誉のすべては消え去ってしまうものです。逆に何一つ手に入れることができなかったとしても、自分の心を大きく豊かにした人生であればとても価値のあるものになります。自分は死んで消えてしまうことはありません。だからこそ身体を使って生きられるうちに、心を高めていくことを一番に考え生きていかなければならないのだと思います。
子は親を見て育ちます。子は成長しやがて親のようになっていくことが定められています。まだ幼い私たちの小さな心は生命の大親の御心とは比べようもありませんが、親を目指して努力して、いつの日か御心と同じ大きな心を持てるように発展していくことが、生きる目的であり意味なのかもしれません。まだまだ先は遠く険しい道のりかもしれませんが、あきらめず希望をもって進んでいけば必ずその時がやってきます。どこまでも変わっていけるように時は刻みを続けていてくれます。それも生命の大親の御愛により成されていることです。
私たちは今このように生きていられることがどれだけありがたく、価値のあることなのかをわかってはいません。早くそのことに気が付き、みんなが素晴らしく生きていける本来の姿に戻れるよう、地球にお授けをしていてくださっています。生命の親のご存在をみんなが悟ることができれば、互いに心を高め合うことのできる地球になるはずです。みんなが生命の大親に感謝し、喜びと感動だけで生きられる最高の人生をおくることができます。
たくさんのことをわからせてくださり本当にありがとうございます。
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