すべての生きものにとって一番大切な命。生命のお力お働きは生きているものだけではなく、あらゆるものに働いています。ですがわたしたちは命のことをあまり知りません。命はどんなものであるのかや、何のために、どのようにいただいてこうして生きることができているのかを、誰も教えてはくれませんでした。
誰の命であってもそれは大自然の大いなる生命のお力お働きそのものです。そしてわたしたちの心も大いなる御心の一部なのです。あらゆるものは、たとえわずかであったとしても大自然の一片としての存在で、決して欠けることがあってはならない大切なものです。わたしたちもようやく、いのちの本当のことに目覚める時がきています。
愛の心を創り上げる
大親神大生命 大自然の大いなる生命のお力お働きの大いなる御心の通りにすべての営みがなされ、あらゆる命が活かされ生きています。大自然はただ漠然と存在しているのではなく、御心のご意志により生き生きと活動をしています。大自然自体が大きな大きな生きものであり、その御心は大自然のすべてに理として働いています。大自然は理でできた生命の大親の世界です。
大自然の大いなる生命。その生命の世界においてあらゆるものが生きる力をいただき、御心の世界で生きることができています。命も心もそれぞれが別々にあるのではなく、生命の世界、御心の世界の内にあるからこそ存在することができているようです。生命の力と働きはすべてを創りだし発展させていきます。それが生命の本質です。
大自然の大いなる生命の世界。わたしたちもこの生命の世界の内にあり生きるお力お働きをいただいています。
大自然の大いなる御心の世界。この御心の世界の中で自分固有の心をもって意識の活動ができています。
今まではずっと自分だけの命と心だと思っていました。命と心と身体が自分自身であり、どれかひとつが欠けてしまえば自分はなくなってしまうように感じていたと思います。
命も心も別々のものではなく、もとは大きなひとつの生命と心です。そして生命と心には、はっきりとした区別があるものでもないのかもしれません。
大親神大生命 大自然の大いなる生命という一体の中であらゆるものが生きています。すべてのものにとっての創り主である親であり一番身近で頼れるご存在です。ただわたしたちがその偉大なご存在に気がついていないだけです。
大いなる生命と御心の世界の中で、あらゆるものが命の活動を行い、心の成長発展のために今は物質体の世界に生まれさせていただき、たくさんことを実際に体験してみて今までにない感覚やとりどりの思いを心に収穫しています。
自分の命も心も自然にできあがったものではありません。誰にも命や心をつくることはできません。
大親神大生命 大自然という限りなく大きな生命の一個としてあるから、このように生きることができています。
この物質体の世界では、どんな生き物であっても自分の身体すら自分で作ることはできません。生きていくために必要な仕組みや環境のすべて、そして生命のお力お働きをお与えいただき、大自然の営みをしていてくださるからこそ今このように生きることができています。このすべてのことも大自然の大いなる生命の御心により成されていることであり、広大な宇宙のすみずみにまで理のお力が働いています。御心の愛で大自然を現し営んでいてくださることで、大自然のすべてが成り立っています。それぞれの心を高め発展させていけるよう願ってくださっている大きな御心です。
心の発展。それがいのちの目的です。生命の発展していくお力お働きで自分の心を発展させていくことが、生きていくということです。
生きることとは心の意識活動です。命は何でもすることができるお力お働きであり、命の力を使って何かをしてみることで心に思いがわきあがり、その思いを味わうことが命の活動ですね。この物質体の世界では身体を使って実際にやってみることができます。目で見る、耳で聞く、言葉を話す、触れてみて感触を確かめるなど。そしてそのすべてにほかの心との関わり合いも生まれてきます。五感を通して知り得たことをもとに、自分から他に向かい何らかの表現をして発信していきます。そうしたたくさんのことを通して、数限りないほどの思いを心に収穫していきます。これは今の身体を使って生きられる物質体の世界でなければすることはできません。
大自然の大いなる生命のお力お働き 大親神大生命の御心は大いなる御愛の御心です。あらゆるものがこうした道中を通り、心を成長発展させていけるようにあふるる親の愛で大自然の営みをしていてくださっています。
大親神大生命の御心に少しでも近づくこと。それは自分の心に他に与えることのできる愛を増やし、実際に与えられるようになっていくことだと思います。親の愛にお報いさせていただくためには、自分も親のようになっていくしかありません。
わたしたちはまだ、他に愛を与えることができません。日々の暮らしの中でまず優先されるものは自分の都合であり、自分が満足することを一番に考えます。自分を犠牲にしても他に与える愛の心にはまだまだなっていません。これから先の心の発展は他に素晴らしさを与えることのできる愛の心になっていくことだと思います。そうなっていくことが本来の姿であり、御心に近づいていくことになるのだと思います。
たった一粒の小さな植物の種。その小さな命がやがて大きく成長し、その恵みがわたしたちの命を支えていてくれます。そんな日常のありふれた光景の中でも生命のお力お働きを強く感じることができます。
気持ちの良さを味わう
大自然界におきまして生命の大親に直接ふれさせていただける尊い機会を賜ることができました。
それは澄み切った静寂に包まれ、とても穏やかで、優しく温かく思えました。生命の光で照らされてとても明るく、決して眩しくない心地の良さです。その中では自分の小さい感情などどこかに消えてしまい、御心のままに身を委ねられる絶対なる安堵な気持ちに包まれ、時の流れすら消えてしまっているように感じました。ずっとここにいたい、そんな心地の良さを味わせていただくことができました。
大いなる生命の世界。それは愛の世界であるのかもしれません。あらゆるものを生命の愛で包み、健やかに育んでくださる絶対なる思いにより現されている世界です。
大親神大生命 大いなる御心はすべてに御愛を注いでくださる大きな大きな愛の大親心です。その御心の一部であるわたしたちも、自らの心を愛の心にしていくことが本来の姿です。他に愛を与えることのできる大きな心です。
あらゆるものはつながっています。つながっているというよりはひとつのものなのかもしれません。
大自然界に姿かたちはありませんから、まだわたしたちにはわかりませんが、あらゆるものが大自然の大いなる理のもとに調和していくことでひとつとなり、より強固な結びつきが美しい調和を生み出し光り輝いていく。そんな感じがいたします。
心の愛が増えていくと全体が発展していくことに喜び、気持ちのよさを感じられるようになるようです。互いに愛を与え合うことで調和が生まれ、その光の美しさをみんなで味わえるようになっていくのがさらに高い気持ちのよさになっていくのでしょう。自分の内だけの小さな喜びだけでなく、もっと大きな気持ちのよさを味わえるようになっていくことで、みんなが幸せに暮らしていける社会が実現されるのでしょう。
生命のお力お働きはどのようにでも使うことができ、どれだけ使っても尽きることもありません。お与えいただいた命の力をどのように使うかは心次第です。
わたしたち人の一生はそれぞれです。それぞれの人に与えてくださった生命のお力お働きは変わりはありません。違うのは生命のお力をどのように使おうとしたかの心の違いです。生きていることへの感謝と感動の喜びの人生をおくる人もいれば、苦しみ悲しみだけのつらい人生で終えてしまう人もいるでしょう。何のためにこの世に生をうけたのか。せっかくこの世に生まれさせていただくことができたのに、つまらない何の実りもない人生で終わってしまったら本当にもったいないことです。
今のわたしたちは心の中の愛を外に向けることができず、自分の都合や立場ばかりを守ろうとする自己愛ばかりがが強くなりすぎて、他の対してとても不寛容、不誠実になってしまっていると思います。自分に都合のよい話をさも事実のように語る人も多く、誰が本当のことを言っているのかもわからないほど愛のない社会になってしまっています。一時の感情やまったく無責任の発言から、何を事実としてとらえればよいのか。だからこそ今、本当のことに目覚めなければならない時なのかもしれません。
大自然の大いなる御心は、みんなが喜ぶことを自らの喜びとしてくださり、みんながつらく悲しい時はともに苦しみ癒してくださろうとしてくださいます。生命も心もひとつです。ともに喜びともに悲しむ。それが大いなる御心なのかもしれません。
絶えることのない生命の灯
大親神大生命 大自然の大いなる生命のお力お働きにより現された大自然界は生命の大親の御愛の世界です。あらゆるものを生命の光で照らし、発展へと導いていてくださっています。
大自然の事実を心からつかんでいくためには、実際にそのようにしていただいていることの実感と、心からの感謝の気持ちで生きていくしかありません。
大親神大生命の生命の御子生命霊として大自然に活かされ生きている事実、御愛の御心や生命の光を肌で感じ、心に刻み付けていくことができればずっとその思いで生きていくことができます。
今持っている知識は身体の終わりとともに消えてしまいます。知識、理論や理屈ではなく、感覚、感じとしてつかむことが大切なようです。理由はわからないけど、なんとなくそう感じる。それがとても大切なようです。おぼろげな灯りを確かな輝きへと発展させていくことで、すこしずつ心の奥に刻み込まれていくようです。
絶えることのない生命の光。大いなる御心の愛が光となり、闇を照らしだしてくださっています。この世界のあらゆる光の根源は生命の光であるそうです。
この一生で何を成すことができたのか。それがこの人生での実績となります。素晴らしい生命のお力お働きを使い自分はこの一生をかけて何をして、その結果心をどこまで高めることができたのか。この一生の価値はそれしかありません。何かをしてそれを後世に残していく。命をかけて何かに打ち込んでやり切ってみる。そのために生まれさせていただきました。何をするかは人それぞれ違うと思いますが、必ずや自分に与えられた役割、使命があるはずです。
大自然界は事実の世界です。自分の実力通りにしか生きていくことはできません。頑張って実績を残せばどこまでも高まっていくことができます。何も努力しなければ同じ一生を何度でも繰り返さなければなりません。すべて自分次第です。
わたしたちはこの先も自分として生きていきます。大自然においての命の活動に終わりはありませんから、どこまでも続いていきます。大自然には自分という意識を通してしか関わりを持つことはできません。どこまで行っても自分が自分でなくなってしまうことはありません。どれだけ意識を高め崇高な心を創り上げても自分でなくなることはありません。そのためにも大きく広く高い、強く美しい愛の心にしていくことが必要です。
なぜかわたしたちは発展していく未来に言いようのない不安や怖さを感じてしまう時があります。未知のもの、変わってしまうことへの恐怖心から新たな挑戦をためらってしまうことも多くあります。未来に希望を感じることのできない心は、発展の大きな妨げとなりますから正しい方向へと軌道を修正しなければなりません。
大親神大生命はあらゆるものが素晴らしく発展していくために大自然の営みをしていてくださっています。ですからわたしたちはその御心を学び、御心の通りに生きていくことができれば必ずや発展の道中を歩むことができます。
未来は輝き希望に満ちあふれています。わたしたちはどこまでも素晴らしく変わっていくことのできる生命の中に生かされているのですから、すべてをしていてくださる感謝の念と新しい扉を開く勇気さえあれば、未来を恐れる必要はありません。
一度や二度の失敗にとらわれることはありません。うまくいくまで何度でも挑み続けることで必ず扉は開きます。生命のお力お働きを惜しみなく思う存分使って生きてみることで、強く美しい愛の心になっていくのだと思います。そのようになるようにお創りくださっているので、そのようになります。
心を震わす感動や、こらえきれずに溢れでる思いが心をつくっていきます。大いなる生命のお力お働きが実際に自分に働いているからこそ素晴らしい思いを持つことができます。
運動の選手が勝利した時に、喜びを表し周囲の方々の支援に感謝をする言葉をよく耳にします。わたしたちはひとりで生きていくことはできませんから、多くの方々の支えがあって暮らしが成り立っています。まして生活のほとんどを費やしていればなおさらです。これからその感謝の気持ちを引き揚げ、生命の感謝にすることでさらに心は高まっていくと思います。
そのすべてが大いなる生命のお力お働きにより成されているのですから。
大親神大生命ご自親が地球に向かって大自然の事実をお授けくださっています。あまりに未熟なわたしたちが本当のことを悟ることができるよう、実際にわたしたちにわかる言葉で貴き親理を授けてくださっています。
御愛の御心により、地球に住むすべてのものが素晴らしく成長し発展していくことを願っていてくださる思いが、このような現象を現してくださっています。
まったく稚拙な表現しかできず、大自然の事実をお伝えさせていただくには到底及びませんが、この貴き機会をお与えくださっておりますことに心より感謝申し上げます。ありがとうございます。
コメントを残す