あらゆる生き物が心だけの世界で生きていきます。永遠に絶えることのない生命のお力お働きをいただいて、心はずっと生き続けます。今このように身をもって生きていることは、ほんの一時のことであり、心は自分という意識のもと時を越え、あり続けます。 わたしたちの心の活動は未来永劫ずっと続いていきます。 わたしたちが今感じている自分の心も、この一生の誕生から今日までにできあがったものではなく、幾度ものいろいろな生き物での生まれ変わりの生存を通してここまで成長し進化することができた心です。
生きるという心の活動。その活動に終わりはありません。この一生は自分の心を成長させ発展していくためにいただいた限りある大切な時間です。この一生涯をかけてどれだけ多くの思いを味わい、どれだけ心を成長させることができるのか。そのためにいただいたお力お働きです。この世に生まれさせていただき、数えきれないほど多くのことを体験し、それぞれが思い思いの人生を歩みながら、自らの心を豊かにしていく活動をしています。
生命の親をさがし求めて
大自然の大いなる生命のお力お働き 大親神大生命の御心によりすべてが創られ現されています。この大自然のすべてが御心という気持ちにより現されています。
大親神大生命より、あらゆる生き物は、御心の大事な一部分をいただき、自分という主体をもって大自然に活かされ生きることができています。大自然の中で自分と思っている心。その本質は自分の気持ち、意識のかたまりである生命霊です。生命が絶えることのない永遠なものであるように、生命霊も死んで消えてしまうようなものではありません。生命霊に形はありませんし、目で見ることもできませんが、自分は自分として永久に生きていきます。
大親神大生命という生命の大親に活かされ生きている生命の御子生命霊 それが私たちの本当の姿です。
生命の大親 あらゆるものにとっての本当の親であり、いつでも、どこでも、誰でも、そのお力お働きにより、子であるわたしたちは生きていくことができています。あらゆるものにとってなくてはならないご存在であり、そのお力お働きがなければ何も存在することはありません。
どんなものであったとしても、誕生し存在するためには親の存在は欠かすことはできません。親があるから子が生まれてくることができます。それは生き物だけに限ったことではなく、物であったとしても、造ろう、生かそうとする意志のもとに誕生し存在しています。親という、つくりだす力がなければ、子は生まれてくることはできません。
こころは何かを求めています。わたしたちは、これまでずっと長い間、何かを求めて生きてきました。
こころが求めているものとは、いったい何なのでしょうか。
こころが求めているもの。それは安らぎであり、温もりであるのかもしれません。
わたしたちのこころが求めているもの。それは親の温もりなのかもしれません。
わたしたちはずっと親を知らずに生きてきました。もちろん今はお父さんやお母さんがいてくださるから、自分がこのように生きていることは誰もがわかっていることでしょう。親がいたから誰もが生まれることができ、育つことができました。今の自分たちの親もとてもありがたく尊いご存在です。ですが自分で気づいていなくとも、心はもっと大きな力により生かされていることを本能としてわかっていたのかもしれません。
それは身をもって生きている今の世界より、心だけで生きている時により強く感じているようです。心の世界では血のつながりと呼ばれている今の親や兄弟といったつながりはありません。身体を通したつながりはすべて消え去ってしまいます。ですから親と子のつながりと感じているお父さんやお母さん、または自分の子供たちとのつながりもみんななくなります。心の世界で親を見失い、生きていくための拠りどころのない孤独と不安にたえるしかなかったようです。
小さな子供は自分一人で生きていくことはできません。親がいてくださるから子供は生きていくことができます。
今のように身をもって生きている時も、心の世界で気持ちだけで生きている時も、生きていることには変わりはありません。どちらであっても現実に生きています。生きていくためには親のご存在を無視しているわけにはいきません。自分は親の大きな御愛に包まれていることをわかり、その大いなるお力お働きに感謝し、この上ない喜びで生きていくことができればどれだけ幸せなことでしょうか。
親からはぐれた子犬は、一生懸命鳴きながら、さまよい歩き親を探します。心の世界ではわたしたちもこの子犬と同じような気持ちで生きているのでしょう。寂しさと不安だけでは健やかに育っていけるわけもなく、荒んだ心をつくりあげる結果となってしまっているようです。子にとって一番大切なものは親です。
生命の親をわかり、その至上の愛に包まれ、守られて生きている実感こそ、あらゆるものに欠かすことのできない大切なことです。
素晴らしい今が、素晴らしい未来をつくりだす
大親神大生命の御愛により今わたしたちが生きている物質体の世界が現されています。この世界は実際に身をもってたくさんの思いを味わえる世界です。その思いが自分の心を成長させ発展させていきます。
心の世界では新しい気持ちやまだ持っていない感覚を身につけることはできません。身をもって生きられる世界に生まれさせていただき、その一生を通して新たな喜びや感動をたくさん持てるように、生まれ変わりできる仕組みをおつくりいただいて、さらなる成長発展をせていくことができています。たとえどんな思いであったとしても、その思いが糧となり自分の心を築いていきます。
この世界で身をもって生きるという活動は、ほかの心との関わりを通して何かをして、何かを残していくことでもあります。心の世界では自分の気持ちしかありませんが、今のこの世界では自分がその時に生きた証として、何かを残し後世に伝えていくこともできるのだと思います。
大親神大生命より生命をいただいたあらゆるものは、心の世界から今のこの身をもって生きられる世界へ繰り返し生まれさせていただき、一生という限られた時間の中、たくさんのことを身をもって感じ、新たな学びや気付くことで心を大きく広げ、豊かにしていく素晴らしい味わいの世界を生きることができています。
今の世界は映画の中にいるようなものなのかもしれません。映画を見ている場合、映画の中でどんな危険な場面があったとしても、見ている側に危険が及ぶことはありません。映画の中の俳優さんが死んでしまう役であったとしても、それが演技であることをわかっています。ですから怖い話や悲しい話であったとしても、安心して楽しむことができます。
現実の生活の中でもたくさんのことが起き、人が亡くなってしまうような事故や犯罪もあります。それは人の社会のどこかで現実に起きていることで、場合によってはその当事者になってしまうこともあるかもしれません。それらのことを考えてみると、人が亡くなった、死んでしまったと思われたことも、身体は死んで使えなくなってしまいましたが、心は朽ち果てることなく生き続けています。その心がその場面を通して身をもってわからせる必要があったから、その現象を現わせてくださるのでしょう。
大親神大生命はこの物質体の世界を、実際に体験し経験することで、あらゆる生命の御子生命霊に思いを持たせてくださるためにおつくりくださいました。身をもって生きることでいろいろなことを感じさせ、わからせていただき、自分の生命霊を創り上げていくためにです。何も苦しませるため、悲しませるためにおつくりくださったわけではありません。活かされ生きているわたしたちも、精一杯生きて生命霊を高めていかなければ、この一生を価値あるものにはできません。
ですから身をもって生きていくことで、どんな思いを持ち、どのように感じ、何がわかったのかがとても大切です。
この世の中に身をもって生まれさせていただく。幼い頃には、いいことも悪いこともたくさん覚えながら成長し、地域、学校、そして社会へと関わりを広げ、多くの心と交わることで喜びや悲しみ、やり遂げたり途中で投げだしたり、成功と失敗を数えきれないほどくりかえし味わいながらたくさんのことを学び、心を成熟させていきます。子供のころにはわからないことが、歳月を重ねることでわかるようになることや、老いや病を体験することで、気付かせていただき、わからせていただくことも多いと思います。その時でなければわかることのできないことは、そのようにしてくださり、わかるようにしてくださいます。
あらゆるものがそれぞれに、その生涯を通して身をもって生きてみることで、たくさんのことをわかり、感じ、考えることで心を成長させることができています。この一生で得られたものが、心の世界、また次の生まれ変わりへと続いていきます。
この一生はわたしとして生きています。わたしでなければ味わえないことを、数えきれないほどたくさん味わせていただき、心を成長させていただいています。この味わいは、この一生でしか味わうことのできない大切なものだと思います。とても大切な一生をみんないただいています。
大親神大生命 大自然の大いなる生命のお力お働きによる営みにより、すべての生命の御子生命霊らにお与えくださっています。
新しい気持ちで生きていく
大親神大生命 生命の大親のご存在を悟り、大自然の真理を学び身につけていくことで、わたしたちの地球はまったく新しい未来が開けていきます。そのために身をもって生きられるとても大事な時を与えられた今、その気持ちで生きてみることが大切です。
実際に新しい気持ちになって生きていく。生まれ変わった気持ちで生きてみることで、新しいことに挑戦していく意欲も湧いてくるでしょう。心を成長させていくためには、古くなっていらないものは捨て、新しいもの、未知のものへ挑み、身につけていくことで少しずつ成されていくのでしょう。
死。それはいつの世もわたしたちを苦しめてきました。死の恐怖は先々への不安をあおり、今を楽しみ素晴らしく生きることをも奪ってしまいました。ですが本当のことを悟れば、死は恐れるものではなくむしろありがたいものであることもわかります。何ごとにも終わりは必要です。この物質体の世界は死があることで成り立っています。
身をもって生きられること。それは苦しみ以外のなにものでもない。親の御心のわからない幼い心のわたしたちはそんな間違った受け取り方さえしてきました。これは親に対して大変申し訳ない、本当に失礼な考えです。その間違いは正さなければなりません。
わたしたちはこのように本当のことがわからず、とてもひねくれた考えをもち生きてきました。ですが幼い心もやがて成長し、本当のことに気付く時が必ずやってきます。
大親神大生命は一人ひとりの心の成長を願い、あらゆることを与えてくださっています。
心の段階はそれぞれ違います。ですからその心に合った課題を常にお与えくださっています。心の成長は、より難しい課題に直面した時に、それをどのように越えていくかです。大変であればあるほど越えられた喜びも大きく、力もついていくでしょう。
いつ、どのように、どんな問題が起きてくるのかを、自分ですることも選ぶこともできません。わたしたちにできることは、御愛の御心に最大限の感謝をささげ、お与えいただいた一生を最高に価値あるものにしていく努力です。
本当の生命の親との出会い。そして生命の永遠性を悟ることができれば、この一生は特別なものとなり、生命霊の大いなる発展となるでしょう。死に怯え、目先のことだけに囚われてきた苦しみの過去から解き放たれ、心を成長させ発展させることだけに専念できる生き方に変えていくことができます。情緒は安定し、落ち着きを取り戻せば、今生きているこの瞬間を感謝と喜びの最高の気分で通ていくことができます。
互いに争い殺し合ってきたことの意味のなさに気付き、みんなで助け合い支え合いながら、感謝の気持ちと喜びで暮らしていくことが、この美しい地球に住むものの役割りだと思います。
この地球で生きいてける時間は限られています。この大切な時を無駄にしないよう、最善を尽くして実現させましょう。一人ひとりがその気になって生きていけば、必ずそのようになるようにおつくりくださっています。
大親神大生命に何から何までしていただいて、今このように活かしていただいていることに心より御礼申し上げます。本当にありがとうございます。
大親神大生命のご存在を悟り、感謝のこころを創り上げて行く。それは真心の、愛の生命霊になっていくために、必ず悟らなければならないことなのかもしれません。そのことをわからせてくださるために、直接授けていてくださっています。
大親神大生命御自親が、地球に本当の親をわからせるために現れてくださり、御言葉により親理をお授けくださる奇蹟が、今現実のものとなっています。
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