私たちは生きています。
これは誰も否定のしようがない事実です。実際に生きているんですから否定できるわけがありませんね。では何のために生きているのですか。あなたはこの問いに対して明確な答えを持っていますか。価値ある人生にするには高い目標、志が必要です。
私はなぜ生きているのか、何のために生きているのか。今までは考えたこともありませんでした。ですが生きるという活動をしている以上何らかの目的、動機が必要です。「何のために」これは本当に大切なことです。
生きることの目的とは
あらゆる活動や行動には何らかの目的があります。何かの目的がありそれを達成するために行動を起こします。朝起きて洗面所に向かうのは「顔を洗う」という目的があり、そのために洗面所に行き実際に顔を洗う行動をします。何の目的も持たずに洗面所に向かうことはなく、たとえ無意識であったとしてもそれは顔を洗うための行動ですね。ですから私たちは何かに対しての意欲・欲求を絶えず持っていて、それが目的となりそれを実現しようとしています。
では自分が生きることの目的はなんでしょうか。限られた一生という時間の中で何を成し遂げようとしているのか。短い期間であったり簡単な目的や目標は持つことができますが、この一生をどのように価値あるものにするか、といった長い時間をかけた目標を持つことができません。でも生きているからただ生きているでは素晴らしい価値ある一生にすることはできません。人生に暇つぶしのための時間はありません。
自分はどこに向かい何をしようとしているのか。それを決めるのは自分です。ですから自分の向かうべき目的地をなるべく明確になるようよく考えましょう。これは他の人は考えてもくれませんし決めてもくれません。自分で決めた目的地でなければ価値がないんです。自分はこの一生で何を成すべきなのか。
何のために命を与えて頂いたのか
生命の大親 は私たちにどんなこともできる命と心を与えて下さりました。では何のために与えて下さったのでしょうか。生命の大親 は何の目的も持たずに存在するすべてのものに大切な命と心を与えて下さることはないと思います。
この大きな世界には「すべてが一体全体であり調和し秩序ある」という力がすべてに働いています。ですから存在するすべてのものは一体であり、美しく調和するために秩序を持っていなければなりません。それが 生命の大親 の御心であり大自然の摂理です。
ですから私たちの生きる目的・目標もその大自然の摂理に沿ったでなければなりません。そしてより高いより崇高な目的を持ち、命の力を最大限に使ってその目的を達成することにより大きな喜びと成長を与えて下さります。その一生であればとても価値があり財産になります。
そのためにもっと 生命の大親 の御心、大自然の摂理を勉強する必要があります。
意識の世界が生きている世界
日々の暮らしの中で何に対して意識を向けているか。その意識を向けている対象やその範囲が自分の生きている世界になります。一家の主であるお父さんは家族が幸せに暮らしていくことを第一に考えます。ですから家族を大事にし、家族のことに対しての責任を持ちます。そのときは自分の家族という範囲で生きていることになると思います。そしてこの「責任」が生きていく上で大変重要なことです。
自分の意識がどちらに向いていているのか。何に対しての関心がありそのことにどのような欲求を感じているのか。それが自分の生きている世界です。
自分の意識が自分の内側にしか向いていない。自分のことにしか興味がない。物事を考えるのも自分に都合良くであり、ほかの人の気持ちは別にどうでもかまわない。このことがどういうことなのかよくわかりますね。自己中心です。
自己中心、自己中毒の気持ちであれば生きる目的も自分の気持ちを満たすためだけの一生となります。この目的は高く崇高なものでしょうか。大自然の摂理に沿ったものではないことはだれでもわかると思います。でも残念ながら私たちのほとんどがこの程度の目的しか持っていないと思います。
生命の大親 が何のために命を与えて下さったのか。そして私たちは何を目的に生きていくのか。このことをもっと真剣に考えましょう。そうしなければ親の愛に報うこともできませんし、価値ある一生にすることもできません。
未熟であった動物たちのころは 生命の大親 が生きる目標も与えて下さっていました。今の私たちは生きる目的を自分の心で考えられるまでに成長させて頂きました。これは本当にありがたいことです。自分で自由に決められる、ということには責任があります。ですから 生命の大親 の御心に沿った生き方をみんなで考え続け、実際にその目的を実現するために生きていきましょう。
笹本恵美 says
読ませて頂きました。わかりやすかったです