私たちは日々の暮らしを通してたくさんのことを考え、様々な行いをしながら生活しています。何を思い何のためにどんなことをするのか。皆がそれぞれにいろいろなことを思い、考えながら何かをしています。
素晴らしい価値ある人生にするためには何をするかも大切ですが、どんなことを思い何のためにそれをしたかという動機の部分がとても重要になります。自分がどんな気持ちで生きているかがとても大切なことです。
自分のことだけを考えていても価値はない
どんな気持ちで何のための行為や行動なのか。全く同じ行いであっても気持ちや目的が違えば、その行いの意味は全く違うものになります。自分のためではなくみんなのこと、そして全体のためを考え役に立つ何かをすることが必要です。
親は子のために自分の全てを犠牲にしてでも子を守り、しっかりと育てていこうとします。それは 生命の大親 より御心の一部を限定的に与えて下さる気持ちです。この親が子を想う気持ちはとても貴く素晴らしい気持ちですね。もし誰に対してもその心で接することができればどんなに素晴らしいでしょうか。
ですから私たちはその御心に少しでも近づくことができるよう努力しなければなりません。自分のことだけを考えながら生きていても価値はありませんし、つまらない人生です。
子供は人の気持ちを深く考えたり、思いやりを持ったりする全体の役にたつことはまだできません。泣いてかと思えば笑っていたりと情緒も安定していません。自分の気持ちを満たすことだけを考え、周りにそれを求めます。子供ですから今はまだ仕方ありませんがやがて大人になり、与えられる側から与える側に成長しなければなりません。
自分の心を制御できないのは幼いからです
自分の気持ちを満たすことしかできないのは心が幼く未発達なためです。実際の年齢はあまり関係なく、幼い心しか持っていなければ自分の欲求を満たすことしか考えられず、みんなの気持ちや全体のこと考えることはできません。
人との関わりの中でも自分の気持ちが第一であり、他の人がどう思うかなど全く気にしません。自分の気持ちを上手くコントロールしてみんなと仲良くすることができないんです。こんな幼い心しか持っていなければ社会の一員としてみんなと調和して暮らしていくことなど到底できません。
まずは自分の心の幼さに気が付きましょう。私たちの心の中には幼稚で未熟なところがまだたくさんあると思います。そのことを自覚することさえできれば必ず成長していくことができます。気が付いたところから直していきましょう。それは自分のためではなくみんなと上手く調和するための行いです。
そして段々と自己中心の気持ちからみんなのこと、全体のことを考えた行いができるようになってくると今までは無かった力が働き出します。それは自分のためではなく全体を良くしていこうとする力と働きです。
より高いところを目指す
自分の意識をより高いところを目指して登り続けなければなりません。では高いところとはどんなところなのでしょうか。いきなり親は無理かもしれませんのでまず大人になりましょう。
大人になれば物事を深く考えることができ、行いに対してその結果もある程度予測することができます。そして自らを振り返り自らの進むべき道を決め、自らの意思で生きていくことができまます。自分が個人から公人という立場になっていくこと。自分は他に何を与えることができるのか、全体がより良くなるためにどんな役に立つことができるのか。一生懸命考えできることからやっていきましょう。
自分のためにしか生きてこなかった今までとは全く違う気持ちになるかもしれません。そしてそのことがとても貴いことであり喜びであることに気が付くはずです。
意識を高めるということは自らの欲望を捨て去り、ひたすら苦行の道を歩む。といった印象をお持ちかもしれませんが少し違うようです。
意識を高めることは心を広げることであり、気持ちを大きくしていくことです。今までは生きることは労働であり、試練や困難の連続でしかありませんでした。決して生きることを楽しみたいという積極的な気持ちも、活かされ生きることの素晴らしさも感じていなかったと思います。
この人生でどれだけ楽しむことができるか。
生命の大親 は私たちに苦しみを与えるためにこの世界をお創り下さったわけではありません。私たちにたくさんの楽しみや限りない喜びを与えて下さろうとしています。その御心に沿わせて頂くためにも、もっと生きることを楽しみましょう。楽しむことは心を豊かなものにしてくれます。
新しい自分の発見、違う気持ちとの出会い。どんなワクワクする未来が待っているのか。楽しみは無限に広がります。
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