私たちはこの世界で活かされ生きています。ですがこの世界のことをまだよくわかっていません。たぶんこの世界の仕組みがわからないからだと思います。
実際に毎日暮らしていることがなんの目的で、どのような意味を持つのか、私が感じたことや考えたことを書いてみました。これは私個人の思いですので聞き流して下さい。
今のこの世界は仮想の世界?
この世界は三つの世界が重なり合った世界で、生命の世界、気持ちの世界、今私たちがいる形のある身体を持って生きる世界です。これは私の推測ではなく本当のことです。三つの世界はそれぞれが別々にあるのではなく、三つが一体となり一つの世界になっています。まだこのことは私もよくは分かっていませんが、問題は今いるこの世界と気持ちの世界ですね。
今私たちが生活しているこの世界は、いろいろなことを実際に体験するために 生命の大親 が現して下さった世界です。私たちが生きているということは気持ちの活動です。いろいろなことを知り思い考えながら生きています。まだまだ私たちには知らないことがたくさんあります。ですからたくさんのことを知ることができるようにこの世界を現して下さいました。私たちは未だ研修中といったところでしょうか。
今のこの世界は時間に限りがありますから永遠に続いていくものはありません。身体をお借りして誕生し、やがて死という終わりを迎えます。無常と呼ばれることですね。この一生で築いた地位や名誉、財産、家族などすべて消え去ってしまいます。ですからはかない世界、苦しみの世界ととらえた人たちもいます。その人たちにとっては生きることが苦痛でしかなかったのかもしれません。
時の経過というものが必ずあります。流れる方向は常に一定で逆に戻ることはありません。その時の流れがなければ生きていることにもなりませんし、この世界も現すこともできないんだと思います。これが大自然の大いなる営みの元となるものなのでしょう。
もしかすると永遠とは時の流れがないことなのでしょうか。私には終わりのない時の流れというものの感覚がつまめません。とてもむずかしい問題です。
ですが時がとても大切なものであることはわかります。そして時には区切りが必要です。締め切りがなければ時間の目安が分からず時を大切に使うこともないと思います。時の大切さを分かり価値あるものにしていくことが大事なことですね。
私たちは実際に生きています。これは確かなことです。日々の暮らしの中にはいろいろな出来事があり、時の流れに沿っての移り変わりがあります。ですが今私たちが生きているこの世界はすごく良くできた映画の中で生きているように感じるときがあります。立体的な映像の中で私たちは生活しています。表現力が乏しいためよくわからないと思いますが、今のこの世界は仮想というか夢の中というか映画のセットのようなもので、もし映写機を止めたら一瞬にしてすべてのものが消えてしまうような世界であるような気もします。
私たちが生きていることは絶妙なバランスの上に成り立っているようなそんな感じがすることがあります。
何を収穫すべきなのか
私たちはこの世界でいろいろなことをわからせて頂いています。もちろん知識を得ることも必要だと思いますが、感覚というか感じをつかむことが大切なことのようです。知識はこの人生を生きていくことに必要なものであり、この人生が終われば消えてしまいますが感じや感覚は残るみたいです。
地球には海がたくさんありますね。でも知識で海があることを知っていても、海に入ったことがなければその感じはわかりません。実際に海の水の中に入りその感じをつかむことが必要です。水の冷たさや水に包まれるあの感じ、気持ちのよさを味わなければ海のことを知っていることにはなりませんから。
果物のりんごも食べたことも見たことすらないとすればりんごの感じはわかりません。この世界は形を持つことができますから、りんごの味だけでなく見た目の質感や香り、栄養素まで分かることができます。
この人生で手に入れたほとんどのものは消え去ってしまいます。残るものは気持ちであり感覚です。素晴らしい思いや感覚をたくさん持てれば素晴らしい人生になると思いますが、嫌な思いや恐怖を感じてしまえばそれが残っていきます。暗闇や水、高いところなどをとても怖がる人がいますが、どこかの人生でその恐怖を味わい収穫したのでしょうね。
そして私たちはひとりで生きているわけではありませんから、心と心、気持ちと気持ちのつながりというか結びつきもとても大切な感じだと思います。
この世界ではたくさんのことを実際に体験して感じをつかみ、いろいろな気持ちを味わうことができます。喜びや悲しみ楽しさや苦しさといった気持ちや、美しさを目や耳を通して感じることができますよね。この世界でしか味わうことはできません。
たとえどのような体験であったとしてもその場面に巡り合わなければ味わうことができないこともたくさんあります。その意味でも時はとても貴重です。
命の力と働きを使う感覚も大切です。命の力と働きはいくら使っても尽きることはありません。ですから少しでも多く使わせて頂く感覚を持ちましょう。怠慢、惰性、無気力といった感覚は決して持ってはいけないものです。
生きることは有料です
私たちは毎日ごく当たり前のように暮らしています。身体を使い頭を使い時間を使い自分の生きたいように生きています。そしてそのことに対しての何らかの支払いをしたことはありません。タダで使っています。でも本当に無料で使い放題なのでしょうか。
現実はやはり生きることは有料なのだと思います。ただ呼吸をするのにいくら、考え事をするのは一回いくらとお金を払うわけにはいきませんので、その変わりに何かをしなければいけないんだと思います。他に何かを与え、その与えた分だけ自分も頂くことができるとても公平な仕組みになっているようです。
ですからこの人生においてたくさんの収穫をしようと思ったら、それに見合うものを他に与えなければなりません。私たちの社会でも何か品物が欲しい時はお金を払わなければ自分のものにはなりません。それと同じことです。
その仕組みをみんな知らないのでなんとか自分だけが得をしようする欲を持ちます。少しほかの人より頭が良ければその欲を満たすこともできるでしょう。何も与えずにいろいろなものを手に入れ満足します。人のものを盗んだり、だましてでも手に入れようさえします。それがどんな結果になるかなど考えたことはないのでしょうね。
一時的にはそんな自分の欲を満たすこともできるようですが、ずっと続くはずはありません。手に入れたはずのものをみんな失う時が来ると思います。残るのは失った悲しみと苦しみだけです。無常を嘆くよりも自分の行いを正すべきです。自分が手にしたいだけのものを他に与えていればなくなることはありません。
他に素晴らしい思いや幸せな気持ちを与えることによって自分も喜びを感じることができる。誰かに親切にしてあげるととても気持ちがいいですよね。そんな素直な気持ちさえも何かに執着してしまい欲のかたまりになってなってしまうと感じられなくなってしまうのかもしれませんね。
みんなが互いに何かを与え合って支え合って生きていくことが本当の社会の姿です。そのことを誰もが心の奥で思っていることだと思います。互いに傷つけ合って生きる社会を誰も望んではいませんよね。
特別な何かを身に付ける、自分のものにするということはそんなに簡単なことではありません。この人生で得ることができた素晴らしい思いや考えも自分のものにしなければやがて消え去ってしまいます。
本当のことが分かり積極的に他に喜びや幸せを与えてあげることで少しずつ自分のものになっていくようです。
自分が得することばかり考えていてもつまらない人生にしかなりません。いい加減みんながそのことに気が付き、地球がみんなの心が通い合う素敵な場所にする努力を力を合わせ始めていかなければならない時期に来ていると思います。
これは地球に住んでいる私たちにしかできないことです。
この人生素晴らしいものにするのもつまらないものにするのも自分次第です。でもその人生を与えて下さった 生命の大親 に感謝の気持ちを忘れないで下さい。それがすべてをしていて下さるご存在に対しての最低限の礼儀です。
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