生命の大親 より私たちが頂いている命の力と働きは想像をはるかに超える大きなもののようです。命の力と働きは自分の気持ち次第でどのようにも使うことができます。ですから私たちはまだ命の力をほんのわずかしか使えていませんし、そのことに気が付いてもいません。
命の力と働きをもっと価値あるように使わせていただくためにはどんな気持ちで生きていけばよいのでしょうか。
私たちはまだ幼稚な子供です
私たちの心は今はまだ幼い子供のようなものだと思います。この地球で単細胞生物から始め虫や爬虫類、魚や鳥を経て小動物、大型の動物と心も少しずつ成長させて頂きました。そして人間という少し自分で考えることのできる心にまで育てて頂きました。それまではあまり考えなくても生きていくことができましたが、人間になってようやく考えるという行動ができるようになりました。
おかげで私たちは自分というものが存在することがわかり、自分が他とは違う特別なものであることを知ることができました。ですがやっとそのことがわかるようになっただけの駆け出しの見習いです。一人前と呼ばれるようになるにはまだまだ知識も経験も全然足りません。今のままではこの世界では全く通用せず何の役にも立ちません。今はまだ生きているから生きているという状態です。
少なくとも今は自分が未熟であることを自覚し、これから先どのように成長していけばいいのかを考えてみましょう。
この人生においても赤ちゃんから少しずつ成長し、いろいろなことを経験しながら今に至っていると思います。子供の頃は多くのことを勉強しながら自分の中に吸収していくことが仕事でした。そして社会に出るとその吸収した知識や経験を活かし、今まで蓄積したものを出すことによってみんなの役に立つことが仕事となります。そして社会に出て20年、30年経つともう一人前であり自分は完成したと思ってしまいます。これが全くの錯覚であったんですね。
その錯覚のせいで成長する努力をやめてしまい、その上いかに自分が正しく優れた人間であることを周りにも宣伝します。まだまだ先はずっと続いていくのに、人生が一度きりという間違った思いがそうさせてしまうのだと思います。
これから先もずっと成長を続けます
私たちのこれまでの成長はおそらくエスカレーターに乗っているような感じの成長だと思います。親に守られ自分がそんなに努力しなくてもそれなりに成長することができました。ですが親の世話になり生きていく時はそろそろ終わりで、これからは自分の力で生きて成長していかなければなりません。エスカレーターが終わり階段しかなくなります。自分の力で一段一段昇らなければなりません。やがてはその階段はハシゴに変わり、そのハシゴもなくなる時が来ます。
自分の力で階段を昇り始めると今までとは全く見える景色が変わりそうです。自分で自分のことを奮い立たせ、自分で考え自分で決断し自分が責任を取る。すべて自分でやらなければなりません。ですが苦労した分、汗をかいた分達成した時の喜びは格段に大きくるような気がします。そんなふうに新たな挑戦を繰り返して成長していくことが本来の生き方なのかもしれませんね。そうして創ることができた自分が本当の自分なのでしょうね。
私たちの心は本当にまだ未熟なものだと思います。生きることの大半を自分の欲求を満足させるためだけに使っています。子供の頃からその本性はあまり変わっていません。自分がこれまで得ることができた知識をひけらかし、さも自分は正しいと信じ込んでいます。これはとてもみっともないことであり、自分を恥ずべきことです。そのことを心に刻み、成長の道を一歩ずつ歩んでいきましょう。
これからが本当の生きていく歓びです
今までは子供でしたから自分がすることの責任を問われることはありませんでした。私たちの社会では未成年ということです。ですがこれからは立派な成人として生きていく時が来ています。自分に責任を持ち使命を果たしていかなければなりません。アマチュアからプロへの転向です。
私たちが今このように存在していることはたまたまそうなったわけではなく、はっきりとした意志の下に役割りを持ちここにいます。偶然ではなく必然です。とても大きな全体の中の一部分として存在しています。その全体の中の一部としての機能を果たさなければならない責任があります。自分に与えられた使命は何であるのかよく考えてみて下さい。
生きることは本当に素晴らしいことです。ですが私たちはまだ生きることの素晴らしさも命の尊さを感じてはいないようです。
自分が今まで作ってきた低俗な気持ちに囚われ、自分で生きることをつまらないものにしています。ではどうすれば生きることの素晴らしさを感じることができるのでしょうか。
感じる力は行動することと結びついているようです。ですからただじっとして考えていても感じる力を高めることはできないようです。今までのように自分を満足させるための行動ではなく、他のため、全体のためを思い自分にできることを行うことによって少しずつ感じる力を高めることができるようになるようです。
生命の大親 より素晴らしい力を頂いています。もし生きることの素晴らしさを本当に感じることができれば、今までに感じたことのない歓びと感謝の気持ちがとめどもなくあふれ出てくるような気がします。そしてその思いをさらに深めていくことが自分を高めることになる思います。それをする力は頂いているのですから、やるのもやらないのも自分次第です。
何かを始めなければ何も変わりません。
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