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素晴らしく生きるための心のつくり方

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素晴らしく生きる術を身に付ける

2019年10月3日 by kissam コメントを書く

素晴らしく生きる術を身に付ける

私は本当のことを判らせて頂けるとても尊いかけがえのない機会を頂き、本当のことを少しずつ考えられるようになってきました。この世界の素晴らしさと尊い命のありがたさがほんの少しですが判らせて頂く事ができました。今までは身体を通してしか自分を感じることができませんでしたので、すごく狭い範囲の意識しか持っていなかっと思います。ですが本当のことが判ってもなかなか素晴らしい気持ちで生きることができません。知識で分かっただけではダメなんでしょうか。

なぜ思うように生きられないのか

素晴らしく生きていくためにはまずそのやり方を知り、そのやり方に沿った生き方ができる術を身に付けなければならないようです。やり方を知っただけでは実際の自分の気持ちは変わりません。やり方さえわかればできるという簡単なことではありませんね。

実際に素晴らしく生きてみようと思っていてもその方向に舵を切り続けることができません。いつの間にかまた元に戻っています。その繰り返しをずっと続けているような気がします。なぜ自分の思う方向に進めないのでしょうか。

敵は己の心の中にある。とよく言いますがまさに素晴らしく生きられない原因は今まで作った自分の心が強情で強く抵抗しているからです。自分の今の気持ちは自分中心の気持ちです。たぶんみんなの気持ちもそう変わらないと思います。自己中心の気持ちが考えられることは自分のことだけです。他の人のことや全体のことを考えるには大きさや深さが全然足りません。

そして思うことは命の力は自分のために与えられたものではないのかもしれないということです。私たちの命は大きな一つの命の一部を頂いております。あなたの命も同じです。大きな全体に属しているのですからまず考えなければならないのは全体のことです。そのために頂いた命の力ですから全体のために使うのが本来の使い方です。ですが私たちはそのことがまだよくわかっていないので、つい自分のためだけに使おうとしてしまいます。自分のためにしか生きていないからすぐに行き詰ってしまうのかもしれません。

先日テレビの番組で仏教の修行の様子をやっていました。お坊さんたちは古くから伝わる教えに従いとても過酷な状況に身を置くことでさとりを開こうとしています。さとりは教えを学ぶことと修行のどちらが欠けても開くことはできないそうですね。そしてさとりの頂点にたどり着いたのはお釈迦様だけだそうです。
本当に大変な思いをしなければ開くことのできないさとりですが、いったい何のためのさとりなのでしょうか。
仏教にはあまり詳しくないのでよくわかりませんが、さとりを開くことによって 永遠に変わらない幸せを手にすることできるらしいです。そして誰でも努力次第でさとりへの道を進むことができるそうです。

どうも仏教のことを考えてみても、私たちは自分が素晴らしく生きていくことは考えますが、全体を素晴らしくしていこうといった発想がないようです。さとりにしてもさとりを開いた後どうするのかはよくわかりません。そのことを人に伝える責任もあるようですが、あくまでも一人ひとりがいかに苦しみから逃れるかといった個人的な話のように感じます。

自分さえ苦しみから逃れて素晴らしく生きられればいい、といった自己中心の極みなのかもしれません。

今は自立することが重要です

おそらく今までは親の庇護の下たいした苦労もせずに生きてきました。ですがそろそろ親から離れて生きていかなければならない時期がきているようです。もちろん親との関係は切れるものではありませんが、誰にも頼らず自分の力で生きていく気持ちが必要だと思います。

もし二人の子供がいて一人は親の言うことを素直に聞いて文句ひとつ言うことはありません。もう一人は親の言うことを聞きませんが何とか自分の力で生きていこうとしています。あなたはどちらの子供を応援しますか。
もちろん親であれば二人ともどちらも応援すると思います。私には今は子供がいませんので確かなことはわかりませんが、どちらかといえば自分から独立しようと頑張っている子供を応援するのではありませんか。頼もしさを感じる反面さびしさも同居している複雑な心だと思いますが、何となくそのように思えます。

私たちの心の底にはきっといつか誰かがどうにかしてくれるという甘い依存した心があると思います。その思いのせいで心の成長の妨げになっているのではないでしょうか。自分の甘い気持ちを捨て重い責任を背負って生きていく心意気が自分を成長させることなのでしょう。

近頃では十代の少女が危機を訴えています。私たち大人は何もしなくてもいいのでしょうか。そんなことがあるはずのないことはみなさんお分かりですね。自分の立場を守ることではなく、いかに全体を良くしていくかが私たちの役割りです。

最初は微力だと思いますが全体のことを考え力を尽くすことによって何か新しいものをつかむことができそうな気がします。

最後は腹を括えるかどうかです

何があっても自分の力で全体を素晴らしくしていくという強い信念、使命感が必要です。そのために今まで頂いた知識を自分の心の中で強い欲求になるまで高めなければなりません。強い欲求があれば黙っていてもそうするはずです。

自分のことは忘れて全体を良くしていくことが、自分にとって一番自分を高めることになるのかもしれません。全体の中で価値ある存在になることです。

私たちが目指しているところはまだ具体的に思い描くことができません。
オリンピックに出る選手が金メダルを目指して頑張ることができるのは、金メダルをもらうことによって自分がどれだけ気持ちのいい思いができるかイメージすることができるからだと思います。国中の人が自分を応援してくれ、その重圧を撥ね退け期待された金メダルを獲得した時の達成感。自分に向けられる賞賛。その後の経済的なこともあるでしょう。

私たちの目的は全体を良くしていくことであり、自分が金メダルを取ることではなくオリンピックという大会を素晴らしいものに運営していこうという立場の違いです。金メダルを取ることは容易いことではありません。ですがオリンピック全体がうまくいかなければその金メダルの価値もなくなってしまいます。

全体を良くしていくためには強さも必要ですが、もっと大切なのは優しさだと思います。強さは一つ間違うと対立につながりますが優しさは許すことができる大きな気持ちです。他を許すことができれば対立には発展しません。意見の食い違いや自分に対しての裏切りですら受け入れ、許すことができればどれだけ争いがなくなることでしょう。

親はどんなに未熟な私たちであっても優しく見守ってくれているのかもしれません。

そうして全体の一部として役に立てるような一人前になって初めて親の偉大さやありがたさが判るようになるのかもしれません。親がすべてをしていて下さるから私たちも存在し、全体の役にたつことができます。まずは頑張ってそこまで行ってみましょう。

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