私たちは生きることに誠実ではありません。それは自分に対しても誠実ではないということだと思います。生きるということがどういうことなのか。自分にとって一番大切なことなのにわかろうとする努力さえしてきませんでした。
自分の力で生きることを放棄し、他の何かに依存することでなんとか自分を守ろうとした哀れな姿です。生きることとはどういうことなのか、私たちに今最も必要なことを考えてみましょう。
命の力は無限大です
大自然の大いなる生命のご存在は私たちに素晴らしく幸せに生きるためにその生命の一部を授けて下さいました。
私たちは現実に今生きています。大自然の大いなる生命を頂き生かされています。ですが何のために生きているのか、生きていることの意味は何なのか本当にわかっている人がどれだけいるのでしょうか。
私たちはもっと生きることに真剣にならなければなりません。ただぼんやりとなんとなく生きていても、この人生が価値あるものにはなりませんから。
何のために生きているのか、自分が生きていることにはどんな意味があるのか、それは自分の力で見い出さなくてはなりません。自分の人生であり自分のことです。誰も教えてはくれません。一生懸命に自分の力で生きているものだけがその答えを頂けるのかもしれません。何もしなければ何も見つけることはできません。
今までは自分の人生であるのにどこか他人事で、誰かが自分を幸せにしてくれるという、頼り切った生き方しかしてきませんでした。
これからは自分をもっと大切に、誠実に生きていかなければ幸せをつかむことはできません。
それには自分の心に強固な芯を作らなくてはなりません。どんなことがあっても決してめげず諦めずに生きていく強い芯です。その芯がないのであっちにフラフラ、こっちにフラフラと行く先は定まらず、すぐに他の力をあてにしてしまいます。どんな試練があっても貫き通せる、折れない心の芯が絶対に必要です。
命の力を何に使っていくのか。それを決めるのが自分の心です。
命の力に限りはありませんから、自分がしっかりとした目標を持ち、強い意志で立ち向かうことができれば実現できないことはありません。正しい目標と何があってもやり遂げるだけの強い気持ちがあればできないことは何もありません。
私たちは何を求めているのか
子供は親から褒められ認められることが一番の幸せです。そして親は子供が社会の役に立てるよう成長していくことが喜びになります。これは人種や民族、宗教などの違いを超えて変わらないことです。
私たちは身体の親はわかりますが、命の親を知らずにずっと長い間生きてきました。大自然の大いなる生命のご存在を知らずに生きてきたんですね。
私たちは親に褒めてもらいたいという欲求を常に持っていますが、その親がわかりません。それをはっきりしたいという思いが、科学技術がこれだけ高度に発達させた理由かもしれません。
親を知り、親に認めてもらいたい一心で頑張ってきたのかもしれません。
大自然の大いなる生命のご存在はどれだけ科学が進歩しても物質的には明らかにすることができません。私たちの生命もそうだと思います。
ですが目には見えなくても心はつながることができます。同じ心を頂いているのですから、その御心とつながることはできるそうです。まだまだ私たちの未熟な心では御心を知ることはできませんが、私たちの真心はわかって下さいます。
そのためにも私たち一人ひとりが真心を持って地球を素晴らしい星に変えていかなければなりません。その純粋な真心は必ず大自然の大いなる生命の御心に届きます。
大自然の大いなる生命のご存在に認められ御愛に包まれているからこそ、私たち一人ひとりが素晴らしい命を頂けています。
新しい時代を私たちが築いていく
大自然の大いなる生命のご存在は、私たち一人ひとりに何の見返りも求めず生命を授けて下さいました。
今までの歴史を自分なりに考えてみると、その時代時代の全体感のようなものがあります。戦国時代は戦をすることが当たり前でした。ですから粗暴であっても戦に長けた人たちがとても価値ある存在でしたし、人を傷つけることにさほどの抵抗はなかったのかもしれません。たとえそのことに異論を感じていたとしても、その時代の流れに抗うことはできなかったのかもしれません。
時代とはそういった社会の大きな流れであり、その流れを私たちの心が作り出していきます。
これからの社会は大自然の大いなる生命のご存在を誰もが悟り、その生命の尊さに感謝し、一人ひとりの心を大切にして大自然の摂理に沿って素晴らしく成長し発展していく。そんな新しい時代を私たちの手で築いていきましょう。
同じ地球に住むもの同士が互いに警戒し合い、いつ戦争が起きてもいいように準備をしている。そんなことは子供が考えてもおかしいことです。そのおかしさに早く目覚め、そんなことを無くしていく流れを作らなければなりません。
そのためには自分の気持ちを大きく変えなければなりません。自分の目先の欲を満たすだけの低い意識から、地球の未来を考えられる高いものに変えていかなければなりません。対立やあまりに利己的な気持ちはもう必要ありません。それを自分の力で成し遂げることが、私たちが本来進むべき道だと思います。
私たちがもっとまじめに生きていれば、もっと早く大自然の大いなる生命のご存在に気が付いたかもしれません。そうすれば今のように罪悪感をもって苦しみながら生きていかなければならない社会にはなっていなかったと思います。
大自然の大いなる生命のご存在を悟ることが、幸せに生きていくための一義です。
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