私たちにとって一番大切でかけがえのないものは いのち です。ですが いのち とはどんなもので、なぜ私たちが持っているのかあまり考えることはありません。
私たちは日々の暮らしの中で、いろいろな思いを感じながら生きています。それは楽しいことや面白いこと、出会いもあり大切な人との別れであったり、美味しかったり、つらいことであったりと、たくさんのことを実際に体験することで何かの思いを抱いています。
あなたはそんなごく当たり前の日常をなぜ過ごすことができているのか考えてみたことがありますか。
大親神さまの生命を頂きました
大自然の大いなる生命のご存在である 大親神さま よりその大いなる生命の一部を頂いて、私たちは生かされています。
私たちには いのち をつくることはできません。
いのち とはあらゆるものが活動するために必要な源となるものです。私たち人間をはじめ、動物たち、魚や虫、植物はもとより、動くことのない物にいたるまで存在するもののすべてが いのち の力と働きによりできています。
生き物であれば男と女という要素が揃い、親になる資格を得ることにより別のいのちを授かることができ、その種を残して未来につなげることができます。そうして将来に向かいずっと続いていくことができます。たとえ条件を満たしたとしても、新しい いのち を頂けないこともありますね。
いのちとはそんな人の都合で左右できるようものではありませんし、偶然出来上がるものでもないようです。
私たちは いのち の力と大自然の大いなる営みにより、少しずつ成長させて頂いて今このように生きることができています。決して自分の力でこれまで生きてこられたわけではありません。
そして いのち には何かの目的が必ずあります。いのちは何かをするために存在していますから、何の役にも立たない いのち はありません。
いのちには大自然の大いなる営みの一部としての役割りがあり、それを果たすための力と働きです。
ですから いのち の一つひとつがどれもとても尊いものであり、それはこの先も変わることはありません。それは誰しも同じことです。他の いのち を冒すことはしてはいけないことです。
私たちは漫然と生きてきました
私たちは日々の暮らしの中でたくさんの思いを持たせて頂いています。うれしいことや楽しいこと、感動の涙を流すこともあるでしょうし、つらく苦しいこともあり、悲しくて泣いてしまうこともあるでしょう。生きるということはたくさんの思いを通して自分の心を育んでいくことです。
うれしさや楽しいことで幸せを感じて、生きていることに感謝することはみんなしていることだと思います。ですがここで考えなければならないことがあります。
自分にとってうれしいことや楽しいことはありがたがり、悲しいことや苦しいことはないことを願う。誰でもそう思っていると思います。
ですがうれしいことや悲しいこと、楽しいこともつらいこともすべてあるのが人生です。そう思えること自体が いのち を頂いたからこそできることです。
私たちが一番喜びを感じて感謝しなければならないことは、今このようにいろいろな思いを感じられるこの世界で生かされていることです。いのちの力と働きにより生きて活動をさせて頂いていること自体がとても幸せなことなのです。うれしくても悲しくても、それはすべて生きているからこそ感じられることです。たとえどのような思いであったとしても、自分にとっては大切な思いです。
私たちはずっと漫然と生きてきました。毎日起こる出来事に一喜一憂し、そうすることが当たり前となってしまい、生きていること、いのちを頂いたことへの感謝は忘れています。生きて活動させて頂いていること、自分というかけがえのない心を持たせて頂いていることが当然のこととなってしまい、いのちのありがたさを感じる力をなくしてしまいました。
生きていることのありがたさや、いのちの尊さをもう一度考え直さなければならない時なのかもしれません。生きていることは当たり前ではありません。
大親神さまに いのち を頂くことができたから今の私たちがあります。自分の力でここまで生きてこれた人は誰もいません。同じ人間であるお釈迦さんやキリストさんも いのち を頂くことができたからこそ、自分の考えを持つことができたのでしょう。いのちがなければ何もありません。
いのちの力をみんなのために使う
大親神さまはすべてを素晴らしくしていく力と働きを、あらゆるものに与えて下さっておられます。
今の地球には建前と本音という二つの気持ちがあります。
みんな世界が平和で幸せに暮らしていくことを望み、その実現に向かい努力しています。しかしその一方では各国が軍隊を持ち、自国の安全保障を求め軍備を増強し、兵器や武器の開発も続いています。
他国からの防衛という名目で軍事演習は各地で行われ、いつ戦争が起きても対処できる準備を常に欠かしません。これはみんなが抱えている大きな矛盾ですね。
同じ地球に住むもの同士が話をするときに、自国の軍備の優劣は関係ないはずです。ですが強い国はその武力によって弱い国を威圧し、脅威を与えることで話し合いを有利に進めようとします。これで平和になどなるはずはありませんね。
大自然の大いなる営みの中でも、ある種は滅び、またある種が誕生するということは無数にあります。環境などの変化に適応できないものは滅んでいく。それは自然の摂理だと思います。ですが私たち人間の場合はどうでしょうか。この地球上の愚かな人間たちは自らで生きていくことの幕を引いてしまうのでしょうか。
いのちの力と働きは自分たちが傷つけ合うために頂いたものではないことは、誰もがわかっていことだと思います。ですから気持ちを変えていきましょう。この地球を素晴らしい星にしていくことが私たちの今の役割りです。そのために いのち の力を存分に使いましょう。いのちは価値あるように使わなければ頂いた意味がありません。
みんなでこの地球を素晴らしくしていくために、力を合わせ心を一つにすることができれば必ず 大親神さま に届きます。それが御心に沿った いのち の使い方だと思います。
大親神さま より頂いた いのち ですからその御心に沿って使わせて頂くことは当たり前のことです。
今の地球は危機的な状況にあります。これは口には出さずとも誰しもが感じていることだと思います。私たち一人ひとりの心がすべて御心に沿っていれば、これから先も地球はその役割りを果たしていくことができます。もし沿っていなければやがて滅びることになるでしょう。これも事実であり自然の摂理です。
大親神大生命 に頂いた尊い いのち を感謝の気持ちの真心で使わせて頂く。そうなっていくことが私たち本来の姿であると思います。
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