私たちは永遠に生き続けます。これがどういうことか、あなたにはわかりますか。私たちが頂いた いのち には終わりがありませんから、ずっと永久に自分として生き続けることになります。
とても素晴らしいことですが、ある時にはとても残酷になることもあります。いのちとは、生きるとはどんな意味を持ち、何のためのものなのかみんなで考えてみましょう。
自分は自分であり続けます
大親神さまより永遠の いのち をすべてのものが頂いて生かされています。
私たちはずっと昔から生きていることとは、今のように体を持っていろいろなものを見たり聞いたり考えたりできることだと思っていました。体がまずは基本ですね。体が動かなくなり意識もなくなってしまえば、死んだということになるもんでした。
両親の元、お母さんから子供としてこの世界に誕生しました。少しずつ成長しながら自分ということもわかるようになります。たくさんのことを学びながら知識を増やし、社会という大きな集団の中で生きていくことができるように力を付けていきます。そして社会に出てからは人の役に立つよう頑張ります。いろいろなことを経験し、たくさんの出会いと別れを繰り返しながらいろいろな気持ちを感じ、やがて歳をとって死んでいきます。多くの方はこんな人生を歩まれる方が多いのではないでしょうか。
ところがこれは自分が生きていることにとってのごく一部でしかないとしたら。
私たちが頂いている いのち には終わりがありません。ですから体がなくなったとしても こころ はそのまま生き続けます。
このことは言葉にするのは簡単ですが、本当にそう思い感覚として身に付けることは容易なことではありません。ずっと自分の人生は死んだら終わりと思って生きてきましたし、むしろ生きるとか死ぬとかもあまり意識することはありませんでした。死んだ後のことや、その次の人生のことなど考えてみたこともありませんでしたから。死というものが今までみんなが考えていたこととは少し違うようです。
体があろうとなかろうと自分は自分として生き続ける。これは本当のことのようです。これはどういうことなのでしょうか。
私たちはずっとこれから先も自分であり続けます。
とても身近にいた人でも亡くなってしまえば、また会うこともできませんし、その存在を確認することはできなくなっていまいます。ですがその人にとってはその人がなくなって消えてしまったわけではなく、体を使っていたことから心だけで生きているように、その生きる姿が変わっただけです。霊というふうに呼ばれていますね。
私たちも必ずそうなります。
霊というとなぜか恐ろしいもの怖いものと思いがちですが、そうではなく心だけになっただけです。体があったころ優しかった心は体から離れても優しい霊になるだけです。心は体の有る無しは関係ないようです。
そして霊という心だけで生きていることがむしろ普段の姿で、体を持って生きることの方が特別なのだそうです。ですから心だけになったとしても自分は自分であり、自分がなくなってしまうことはないようです。
今が特別でとても貴重な時間のようです
心だけ、気持ちだけで生きていく世界があります。あの世とか言われることもありますが、天国とか地獄とかがあるわけではありません。気持ちだけの世界です。
もちろん体があるわけではないので、何も見ることも聞くこともできません。お腹がすくこともありませんし、眠くなって寝てしまうこともありません。体があった時に感じていた外側からの情報や、こちら側から発信することもなくなってしまい、それまでに感じた自分の気持ちだけを味わいながら生きていく世界のようです。
心の段階が高くなってくると、その世界でも他の霊と交流したり力を出したりすることができるようですが、まだ私たちぐらいでは無理なようです。
そして味わう気持ちですが、今まで感じた気持ち以上に他に与えた気持ちも味わうことになるようです。体を持って生きていた時に他に与えた気持ちは、自分が持っていたから他に与えることができました。持っていないものは与えられませんから。たとえその覚えがなくても喜びや幸せを与えていれば、自分の心にも喜びや幸せがありますし、苦しみを与えていれば自分も苦しみを持っています。相手に与えた苦しみや悲しみはそっくり自分が持っているものです。
そのつもりがあったかどうかは関係ないようです。自分の心に持っている気持ちそのものを何らかの行為を通して相手に与えているのです。自分の心にないものはあげることができません。
たぶん気持ちだけの世界ですから気持ちの感度がすごく上がると思います。いまよりも何倍もの感じを受けそうです。ここからが大切なことです。
気持ちだけの世界ですから、自分が持っている気持ちしか味わうことができません。素晴らしい心を持っていれば素晴らしい気持ちだけを感じて幸せに生きていくことができます。苦しみの心しかなければ苦しみしか味わうことができません。今のこの世界であればその苦しみを一時であれ紛らわせることができます。お酒を飲んだり、おいしいものを食べたりして気持ちを切り替えることができますが、気持ちの世界ではそれがありません。ずっと消えることのない苦しみだけを感じて生きていかなければなりません。これは本当につらいことのようです。それこそ地獄の苦しみかもしれません。
自分が味わう地獄の苦しみは自分の行いが招いた結果です。誰のせいでもありません。
体を持って生きることのできる時間には限りがあります。そしてそうちょくちょく体を貸して頂けるようではないようです。ですから今このように生きていることは本当に尊く貴重な時間です。
この体を持っている時にしか心を高めることはできません。限りある時の間にできる限り心を高める努力をしましょう。心を高めていくことが自分を一番大切にしていくことです。無駄にしている時間はありません。
親を知ることが一番の歓びです
今できることは少しでも多く良い行いをすることです。他の人が喜び幸せになる行いをすることです。そのためにその人が何を考え、何を求めているのかを知る必要があります。その人のことを思いよく考えて下さい。一生懸命に考える真心こそが大切なことです。きっとその答えを頂くことができます。
地球に住む私たちはみんな命の親を知りません。心の奥底で親を探し求める迷える孤児たちです。ですから本当の親を悟り、それを他のみんなに知らせることが今の地球では一番必要な行いです。
すべてのものが本当の親を知り、生命の永遠性に目覚めることができればみんな安心して心穏やかに生きていくことができます。
大親神大生命 大自然の大いなる生命のご存在を知ることこそ、命あるすべてのものにとって一番の歓びです。これから先もずっとその歓びで生きていくことができるんです。
人が造った神をどれだけ熱心に信仰していたとしても、気持ちの世界になった時にはそこにはいません。実際には存在しないものですからいるはずがありません。熱心にやった分だけ失望する気持ちも大きくなります。
みんな幸せに暮らしていきたいと思って生きています。そう願わないものはいませんね。ですからみんなを喜ばせ幸せにできるような行いを始めましょう。そうして互いを喜ばせながら暮らしていくことが本来の姿です。みんな幸せになりたいのですからまずは他の人を幸せにすることを考えていきましょう。人を幸せにすることができれば必ず自分も幸せになっています。
生きていることにどんな意味を持たせるかは自分次第です。どんな気持ちを持つことも、どんな風に生きていくかを決めるのも自分です。今生きていることに大きな価値を見いださなければ、ずっと同じことの繰り返しになってしまいます。気持ちを変え自分を高めていきましょう。夢と希望を胸に張りきって生きていきましょう。いのちに終わりは無いのですから。
大親神さまによりすべてのものが素晴らしい いのち を頂き生かされています。まずこのことをみんながわかるように伝え広げていきましょう。このことを他にわからせてあげることで自分のものにもすることができます。与えたものが自分のものですから。
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