人生ですからいろいろなことが起きてきます。いいことも悪いことも様々です。そのたくさん起きてくることに応え、対処していくことで自分の心を磨き高めていくとても貴重な時間です。
あなたは自分の心を高めていくためにどれだけ真剣にものごとに取り組んでいますか。素晴らしい価値ある人生にするために、意欲をもっていろいろなことに挑戦していますか。じっとしていても自分を高めていくことにはなりません。
心を磨き高めていくための人生
大親神さまがお創り下さったこの世界は、すべてのものが素晴らしく成長し発展していくためのものです。
私たちはまだ何のために生きていくのか、何のための人生なのかを知りません。
人それぞれどう生きていくかはその人の自由です。自由気ままに自分勝手に生きている人もいれば、真面目にコツコツと努力を重ねている人もいます。みんながもっている価値観はさまざまですから、それに応じて生き様も違います。
どのように生きていくかを決めるのは自分ですから、どのようにも生きていくことのできる自由が与えられています。
まだ幼い生き物たちは自分の気持ちは持っているようですが、好きなように生きていける自由はまだ与えられていません。与えられた本能に従って生きていくことしかできません。でもそんな生き物も私たちと同じように、何かの役割りを頂いてこの世界で生きています。何かの役に立つために生かされていることには変りがありません。
私たちはそんな幼い生き物たちから比べると、生きることの意味も考えることができますし、将来のことを考えられるようにもなりました。この人生にどんな意味を持たせるのか、生涯をかけてどんなことを成し遂げていくのか。そう考えられる力を頂いています。その力をどれだけ活用しているかが問題ですね。
とても責任感が強く、どんなことにも真面目に取り組んで頑張っている人がいる一方で、調子よく自分勝手に口先だけで生きている人もいます。どちらがこの人生を幸せに感じて暮らしているでしょうか。
実際には真面目に頑張っている人も、お調子者を見て羨ましく思うこともあるでしょうし、この社会ではお調子者の方がうまいこと幸せをつかんでいることも多いのではないでしょうか。
この人生の価値は心をどれだけ高められたかによって決まります。
どれだけ真剣に本気になって自分の心を高めるための努力をしたか。私たちの社会では口先だけで大した実力のない人たちがそれなりの成功を収めていることがあります。世渡りが上手というんでしょうか、うまく立ち回ることで大した努力もせず、いいところだけを持っていきます。
一生懸命努力してもなかなか報われることのない方々は、なんとなく複雑な思いを感じることもあると思います。
人生とはそんなに不公平なものではありません。楽して心を高めることはできません。いくら世渡りが上手くて多くのものを手に入れたとしても、人生の終わりにはすべてのものを失います。何かも消え去ってしまい、残るのは自分の心だけです。
口先で上手く生きている人はあまり努力もしませんが、真面目に頑張っている人は着実に実力を付けていくことができます。うさぎと亀の物語のようですが、頑張ってつけた実力は決して無駄にはなりません。勝ち負けの問題ではありませんが、人生頑張って心を高めたものが勝者となります。
どれだけ深く掘り下げて行くことができるか
この世界はすべてのものが素晴らしくなっていけるように、との御心により現されています。ですから私たちもその素晴らしくなっていく流れに乗って発展していくために、御心に沿って生きていくことが一番大切なことです。
生きていくことは、いのちの力を使い何かをしていくことです。いのちは尽きることのない無限に使える力ですから、価値あることにたくさん使ったほうがいいに決まっています。ただなんとなく生きていても、いのちの力はたいして使えません。自分を高めていくには一生懸命、心と体を余すところなく存分に使い切らなくてはなりません。
今のこの世界は時間以外の限界や制限はありません。限られた時間の中でどれだけ深くものごとを追い求めることができるか。
この大自然界はとても大きく、限りない深さの世界です。私たちは表面だけを見てものごとを判断してしまう悪い癖を持っていますから、もっと深く探求してみようという努力をしません。
なんでもそうですが、一つのことを極めることはそう容易いことではありませんね。決して満足することなく自分を追い込んでいかなければたどり着けない終わりのない作業です。ですから本気になって生きていること、いのちのこと、自分の役割りがなんであり何を成し遂げなければならないのか考えてみましょう。
生きることに終わりはありません。私たちの成長も終わることなく、どこまでも素晴らしく発展していくことができるのですから。
そして考えたことを実現するために何か具体的な行動を起こさなければなりません。実際に思いを形にしていかなければ、その思いという気持ちの力を使うことになりません。考えは何かをするためにすることであって、ただ考えているだけでは何の現象も起きません。行いがなければ、いくら考えても無駄になってしまいます。
みんなにとって良い行いをすることでしか、心を高めることはできないようです。
偉人と呼ばれる方々は自分の思いから行動し、世の中を変えるまでのことまでしてきました。これまでも歴史を創り、歴史を変えたきた人たちが大勢いますね。世の中を変えることはそう簡単なことではありませんが、信念を持って行い、それがみんなが素晴らしくなっていく流れに沿っていれば、必ずやり遂げることができます。いのちにはそういう現象を起こすことができる力があります。
考えることは何かを行うためのものです
願い とてもいい響きの言葉ですね。「世界が平和であることを願う」「みんなが幸せになることが願いです」そう思いながら生きていくことができれば、とても素晴らしい人生になります。
この願いという美しい言葉の陰には、私たちの何かに頼ってしまう弱い心や自分は何もしたくない、といった怠け心も隠れているかもしれません。願いという思いは、何かを願いそのために自分が何を行った時に初めて気持ちの力を持ちます。いくら願ってもそのために何もしなければ、その願いは他に対しての依頼心にしかなりません。
私たちはずっと誰かに頼り、誰かの力をあてにしながら生きてきました。そもそも人生を自分の力で切り開いていこうとする気持ち自体がなかったのかもしれません。
もちろんこの世界で自分ひとりで生きているわけでも、自分の力だけで生きていけるものではありませんが、自分の人生ですから精一杯できるだけの努力はすべきですよね。
大親神さまは誰の人生においても、夢も希望もたくさんご用意してくださっているのに、私たちは全く気が付かず自分の気分だけで生きてきました。
成長し発展していくための人生ですから、これからもたくさんのことが起きてきます。その一つひとつのことが自分が成長していくために必要な大切な課題です。それをありがたく頂き、できる限りの真心で応えましょう。後になって必ずや自分の成長を感じられるはずです。
大親神さまはみんなを素晴らしくするためにいのちを与えてくださり、この世界を現してくださり営んでいてくださいます。私たちもみんなが素晴らしくなっていくことが当たり前です。辛いことや苦しいことも心を高めていくためには必要なことです。その御心をわからずに、それを苦しみの世界とはひどい思い違いです。
そんな古い教えを早く捨て去り、新たな気持ちで素晴らしく成長していく種が必要です。みんなで新しい地球の歴史を創っていきましょう。
大親神さまもその思いを必ずやお受け取りくださると思います。大いなる感謝と希望に満ちあふれた歓びを胸に生きていきましょう。
この人生で実際に体験させて頂くことはとても貴重でありがたいことです。
この人生をどのような形で終えることができるのか。病院のベットでみんなに見守られながら終わるのも悪くはないと思いますが、まるで映画のワンシーンのように、墜落する飛行機に乗っていたり、濁流にのみ込まれたり、土砂に埋まってしまうなど、普段はなかなか体験できないことでもいいと思います。そんな味わいを持てることはめったにありませんから。それも素晴らしい人生だと思います。
コメントを残す