生きることは心の活動です。生きるということは自分を創り上げていくことです。私たちはまだまだ未熟であり未完成ですが、これから先も無限に成長し発展していくことができます。どんな自分を創っていくかを思い描き、毎日の生活を通して少しずつ創作していく、希望にあふれた素敵な時間です。
いろいろなことを通してたくさんのことを学び、ほかのものとは違う一つだけの自分を創っていきます。ですから日々起こる一つひとつの事柄がとても大切なものになります。私たちにとって一番大切なことがわかればもっと豊かで素晴らしい自分にしていくことができます。
自分で自分を創っていく
大親神さまよりあらゆるものが、いのち と こころ を頂きこの世界に生かされています。
私たちが生きてることは自分の心を創っていくことであり、そのために いのち を頂いていることもわかりました。ですがいったいどんな自分を創ればいいのかまだよくわかっていません。
私たちはまだ未完成です。まだまだ知らないことがたくさんあり、それをわからせて頂くためにこの世界をお創り下さいました。では何を知ることにより私たちは完成していくのでしょうか。
私たちはそもそも自分を創っていくという感じを今まで持ったことがありません。生まれた時から自分はすでに自分であって、何回もの生まれ変わりを通して今の自分を創ってきた覚えがまったくありません。
自分の心であるにもかかわらず、こんな性格だから仕方ないとか、育ててくれた親や周りのせいにしたりして、なかば諦めと開き直りの気持ちでずっと生きてきました。
普段の生活で何気なく感じていることやしていることが自分を創っていきます。今の自分そのものがそのようにして自分が創ってきた成果です。自分のことが大好きであっても、あまり好きでなかったとしてもそのように自分が創ってきたことをわかる必要があります。
私たちはまだ自分創りの途中です。これからでもまだ十分に手直しができますから、自分の気に食わないところは創り直せばいいことです。どんな自分にしていくかは自分で考えてください。誰かの真似をするのではなく、自分らしいとっておきの自分を創り上げていくことが生きていくことのだいご味です。
自分を創るのは自分の責任であり自分にしかできない仕事です。まずは自分を創っていく感じを早くつかみましょう。自分を創るという感覚を持てば、もう少し自分のことを外側からとらえられ、理性的な評価ができるようになると思います。
私たちの心には制限がありません。これ以上進めないといった限界もありません。
私たちが今使わせて頂いている体には限界があります。どんなに頑張っても目は見えるものしか見ることができませんし、100Mを5秒で走ることもできません。でも心はどこまでも無限に高まっていくことができます。心はどこまでも大きく広くより深く、そして繊細になることができる可能性を秘めています
いのちは永遠に無くなることのない力と働きです。ですから私たちが生きていくことに終わりはありません。このことを何としてでも理解し、そう思える心を創らなければなりません。みんな命は永遠であることがわからないから、あと先考えず今のこの時しか大事にせず、結果として自分を粗末に扱ってしまいます。一時的な感情に支配され、長い期間を通しての見通しや目標を持てなければいいものはつくれません。
自分を大切にする。それはより高い自分を創っていくことです。低いままでも生きていることには変わりはありませんし、そのほうが楽に思えることもあります。ですがもっと高い本当の歓びを感じることはできません。
私たちが感じたことのない歓びがたくさんあるようです。その歓びを感じたことがないので、低い自分のまま生きていても平気なのかもしれません。
どんな自分を創ればいいのか
いったい何のために自分は生きているのだろう。誰もが一度はそのことを考えると思います。考えたことはあってもなかなか確かな答えにたどり着くことができなくて、途中で考えるのをやめてしまう。
特に生活の中に問題ごとがあって行き詰ったりした時にはつい考えてしまいます。
私たちはこの世界でたくさんの心と関わり合いながら、自分を創り上げていく道中の途中です。それだけたくさんの心があるのにすべて違い、同じ心は一つもありません。ほかの心と交わり取り入れていくことにより、自分の心を広げ人生を味わい深いものにしていきます。何かをあげ、何かを頂くその繰り返しですから、ほかの心にどれだけの喜びを贈ることができるか。それが自分の価値となります。みんなの役に立ち、みんなに喜びを贈ることができる自分になることが目標です。
今の社会は自分が生きていくことだけで精一杯でほかの心を気遣う心を失くしてしまいました。ですが私たちは一人きりでは生きていくことはできません。ほかの心と融合し調和することによって心を少しずつ広げていくことができます。自分さえよければほかのことはどうでも構わない、という考えを捨てなければ次に進むことができません。
私たちはまだ旅の途中であり守らなければならないものはそう多くはありません。新しいものを手にするためには何かを捨てなければならないことがこれからもたくさん起きてきます。とても大事にしているものを手放すことができるようになることも、成長していくためには必要なことです。
たくさんの心が一緒に暮らしていくために、この世界には決まりや掟といった秩序があります。より大きな決まりを学び、それに沿って生きていけるようになることも心の成長になっていきます。
小さな子供が社会の決まりを覚えながら少しずつ成長するように、私たちもより大きな大自然の摂理・理法を学び、それに沿って生きていけるようになることが必要です。
その心によって色や輝きが違うようです。ですからそれそれ違う色が織りなす美しい心模様を織り上げていくことが、社会の本当のあり方かもしれません。
心の世界での自分のあり方
この人生が終わり、体を持たない心だけ、気持ちだけの世界に誰もが必ず戻ります。その時にはこの人生で使っていたものは消え去り名前すら無くなってしまうので、自分がいったい誰なのかわからなくなってしまうそうです。
今まで見えていたものや聞こえていたものも体がないのですべてなくなります。自分の心だけが残り、ほかのものはみんな消え去ります。最初はすごく体がないことの不自由さを感じるようです。
自分の心だけになるということで、ありのままの自分と向き合わなければなりません。とても不安になり何かに救いを求める気持ちが強くなります。ですが体があったころ信仰した神は心の世界にはいません。
大親神さまのご存在を私たちはこれまでまったくわからずに生きてきましたので、心の世界に戻った時、神であり本当の親であるという生きていくための心の拠りどころを持っていません。
今の人生で一生懸命何かに信仰していたとしても、心の世界には実在しないものはいません。人の考えた神は人の妄想であって実在しませんから心もありません。心がないものは心の世界にはいるはずがありませんから。
ですから事実、実在するものを元にして自分の心を創っていかなければなりません。単なる物であったり、妄想や空想、うそを信じてしまうと、後で苦しい思いをするのは自分です。とても魅力的なうそはたくさんありますから本当に気をつけなければ。
この目に見える世界には事実でないことがたくさんあります。その一つひとつを選び事実だけを見極められる力を持つことも自分創りには欠かせません。
大親神さまのご存在を本当につかむには、まだまだ私たちには少し時が必要な気がしますが、大自然の大いなる生命と営みにより生かされていることには変わりはありません。そのことを学び、感謝の気持ちを持てるだけでも本当にありがたく素晴らしいことです。そのことがわからなければ感謝をすることすらできません。感謝をしたくても、崇めたくてもその対照がわからないのはとても辛いことです。
これから先は心の世界でも自分が誰なのかを見失うことはありません。みんな大自然の大いなる生命の一部を頂いた生命の御子です。
日々起こってくるさまざまな出来事一つひとつに喜びや悲しみなどの思いを持つことができます。ですがそれ以上に大切なのが、それらのことを通して自分がどれだけ成長できたかという総合的な感覚を持てるようになることです。
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