大自然の大いなる生命のお力とお働きによりあらゆるものが生かされています。ですが私たちはこのことを本当にはつかんでいません。
私たちが毎日生活できるのも大自然の営みの力と働きによるものであり、自分の力で生きているわけではありません。このことを知り、より深くわかっていくことで、もっと素晴らしく謙虚に感謝の気持ちで生きていくことができます。
神のご存在を考えてみると
大親神さまはすべてのものが素晴らしく成長し発展していけるようこの世界を現して下さり、営みを続けていて下さいます。
人の科学は神の存在を認めてはいません。モノのようにはっきりと存在することを証明できなければ、存在していることにはならないのだそうですね。ですからこの世界のあらゆるものは偶然できたと考えられています。おそらく科学者の方々もこの世界が本当に偶然出来上がったものだとは思ってはいないのでしょうが、神のご存在が証明されない限りこのまま続くのでしょう。科学的合理性とはまったく変な話です。
すると神のご存在は宗教が伝え始めます。ですが人の考えた神ですから、とても人間味があるというのでしょうか、人の感じでしかとらえることができません。人が考えた神ですから当たり前なのですが、そこで神がいるのかいないのかという議論がおこります。「いる」とか「いない」とかの感覚は人のように考えている感じですから、本当の神のご存在などとらえられるわけがありません。
私たちが思い描いているような神はいません。これは事実だと思います。自分たちが今まで持っていた神の感じをすべて捨て去らなければ、本当の神のご存在などつかめるものではないように思います。
大自然と考えた方が本当の神のご存在には少し近いのかもしれません。大自然を思い浮かべた時に人の感じを思うことはないと思いますから。その大自然の圧倒的な大きさや人智の及ばない超越的なさまが、本当の神のご存在を感じられるものだと思いますし、大自然を「いる」とか「いない」という感覚では考えないと思います。
いのちがあり、こころを持ち、この大自然の中に活かされ生きている。そのことを素直にとらえれば神のご存在を感じられると思います。科学的な理屈を超えて神を感じることができれば、それにまさる理論はないでしょう。神のご存在がなければすべてが無のままであったはずです。
神の御心を知ること
神の御心とは絶対的な親心のようです。その御心によりすべてのものが現わされ、大自然の大いなる営みとしてすべてが素晴らしく発展していける力を与えて下さっています。
人の考えた神は全知全能の割にはとても気分屋であったり、嫉妬深かったりします。人に意地悪なことしてみたり試してみたり、自分に歯向かうものには罰を与えることもします。これが本当に神だったら世の中は大変なことになってしまいます。神のご機嫌次第でどうなるかわかりません。神とはあらゆるものの創造主であって、すべてのものに平等であり無くてはならないご存在であるはずです。
神の御心とはそんな人の感情のようなものではなく、絶対的な親の愛の心です。その大きな御愛に包まれて私たちは生かされています。
人生の中で時には大変なことも起きてきます。でもそれは私たちが成長するために何かを学ぶ必要があるからそのことを与えて下さるのです。
子供に虫歯ができてしまったら親はどうするでしょう。子供がどれだけ嫌がっても何とかして歯医者に連れていき虫歯を治そうとしてくれます。放っておくともっと苦しむことがわかっているからですね。親の愛とはそういうものですね。
永遠に変わることのない絶対的な愛ですべてのものを生かして下さっている貴き御心。その御心に人は気付かずに今まで生きてきました。まさに親の心子知らずです。早く自分たちがいかに無知で無力であることを知り、御心に沿って生きられるようにみんなで考えましょう。
神のご存在を肌で感じる
私たちの体を考えてみても神のご存在を感じるだけの、とても精密な仕組みになっていますね。自分たちの体のことも科学の進歩によりいろいろなことがわかるようになりました。
私たちの体は自分たちの意識とは関係なく、常に動き続け機能してくれています。むしろ自分では気付かない働きの方が圧倒的に多いのかもしれません。心臓は生きている間は一度も休まずに動き血液を送り続けてくれます。心臓だけでなくすべての臓器がきちっと役割りを果たしてくれてるおかげで何不自由なく暮らしていくことができています。
そんなことも当たり前になってしまい、失くしてみて初めてそのありがたさに気が付きます。すべて大自然のお力によりなされていることであり、私たち一人ひとりすべてに働いています。
人の形をしたとても美しく高性能なものをお借りしていることに気が付いて下さい。自分の体と思っていても自分の力だけで生きているわけではありません。
ハエや蚊は体の大きさは1センチくらいの小さなものです。ですがあの大きさでちゃんと気持ちを持って生きています。食べ物を自分の力で探し、人が叩こうとすれば逃げます。そして子孫を残していく仕組みまで備わっています。親に教えてもらったわけではないのに自然にそれをやっています。
もし人があの大きさで同じようなものを造ろうとしたらどうでしょうか。
この世界すべてが大きな力と厳格な決まりによって成り立っています。みんながその大自然の摂理に沿って生きることができれば、今のような住みずらい社会にはなりません。そのことに早く気が付き、一人でも多くの方が今とは違う生き方ができるように願っていて下さっています。
大親神さまが私たちにすべてを与え生かしていて下さっています。そのことをわかり生きていく時がきています。みんな大親神さまのお世話になっているのですから、ちゃんとそのことを考え、生きるということがどういうことなのか深くわかることができれば科学は後からついてきます。地球はその大きな変化の時を迎えているのです。
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