今までの地球には事実を伝える教えがありませんでした。ですから私たちは本当のことを知らずにずっと長い間生きてきました。そろそろ事実に目覚め、正しい生き方を身に付ける時が来ているようです。嘘やはったりにだまされず、事実をもとに考えて生きていくための教えが大自然界の教えです。
心を高めていくための人生です
大親神さまは生命を与えたすべてのものに素晴らしい思いを味あわせて下さるために、今のこの世界をお創りくださいました。
大親神さまの生命を頂いたすべてのものは、自分の心を広げ高めていくためにこの世界に生まれ、たくさんのことを学びながら少しずつ成長し発展させて頂いています。
命はどの命も同じ命ですが、心は一つひとつみんな違います。みんな自分だけの心ですから、まったく同じ心を持っていることはありません。そしてどんな感覚を持っているかが心の段階です。
この地球でもたくさんの生き物がいてそれぞれに生活しています。毛虫の心も犬の心も私たちの心も段階は違いますが同じ心を頂いています。
毛虫でしたらまだそんなに多くの思いを感じてはいないようですし、本能というあらかじめ決められたものに従い生きています。犬ぐらいになると少し自分の気持ちを感じているのかもしれませんが、食べ物に関しての興味が大半のようで芸術やお金などといった感覚は持っていません。
そんな毛虫であっても懸命に生きようとしている感じは私たちと変わりません。人に忌み嫌われようともお構いなしに自分の一生を全うしようとしていますね。危険を感じればとっさに逃げようとしますし、自分で食べ物を求めて長い距離を移動もします。生命の力はたとえ毛虫であっても同じように働いています。心の段階がまだ未熟なため毛虫として生きていくのがちょうどいいのでしょう。毛虫の一生で心を高められれば次はもう少し高い生き物で誕生することができます。
私たちも必ずそんな人生を通ってきました。生き物の進化とはそのためにあるようで、心の段階に合った生き物の人生を通りながら少しずつ心を高めて、ようやく今のように人として生きられるまでになりました。
私たちはこの地球で人として生きられるようになるまで心を高め広げることができました。この地球で誕生させて頂き、色々な能力を高めそして使いながら人としての社会を築いています。毛虫や犬と比べると飛躍的な成長で、たくさんのことも味わえるようになりました。
仕事をして他の人の役に立ち、芸術に触れ、食事を楽しみ、学問をして知識や教養を高める。すべて人の段階にならなければできないことです。心の成長に終わりはありませんから、これから先も更なる成長を目指して生きていくことができます。
心の価値は実際にどんな思いや感覚を持っているかで決まります。それは自分の価値でもあります。
物事に対してどれだけ深く本質を見抜く感覚を持っているかと、他に対して優しさや思いやりを持っているかです。積極的に他の役に立てる、他のために何かができる心を持っていれば、誰からも好かれる価値あるものですが、自分のことしか考えられない心では誰からも相手にされません。ふりではなく本当にその心を持っているかが問題です。
この人生においてもどれだけ心を高められたかが一番の問題です。たくさんの他の心と交わりながら心を広げ、より高い段階の感覚を身に付けてこそ価値ある人生です。
とても大事なこの時を頂いている自覚があれば、必ず価値ある生き方ができます。
心を高め、自分自身の価値も高めていく尊い機会を今このようにお与え頂き通らせて頂いています。
生命のことを誰も知らない
大親神さまよりその生命を頂き、すべてのものが大自然の大いなる営みにより生かされています。
大親神さまから生命を頂いたすべてのものは生命の御子であり、親と子の関係です。大親神さまが本当の生命の親であり、私たちは生命の御子です。この親と子の関係はどれだけの時を経ても決して変わることのない絶対的な強い絆です。永遠に続く命のつながりです。
私たちは誰もこの命のつながりに気付かず、大親神さまの大きな親の愛を知らずに生きてきました。それどころか本当の親の代わりに勝手な神を作り出し、崇めてきました。
大親神さまは大自然の大いなる生命のお力とお働きを、その御心である大きな親の愛ですべてをしていて下さいます。もう私たちはそのことを知り、大いなる感謝と歓びで生きていくことができる段階だそうです。他の動物たちの心ではまだそのことをわかることはできませんが、人の段階であればわかることができるようです。
おとぎ話を信じて生きている幼さから脱皮し、事実を考え、事実に沿って生きていける大人の心を持たなければ心を高めたことにはなりません。
この地球の生き方はずれてしまっています。真心で生きているものが誰もいません。私たち一人ひとりがそのずれに気が付き、そのずれを治していくことがこの地球に生きるものとしての大事な仕事です。そのように思いそのように行うことで心を高めていく実績となるようです。
命のことも心のこともちゃんとわかって生きていける段階にまで成長させて頂きました。尊いものを敬うという心はとても高い感覚です。
大親神さまの大いなる親の愛を感じ、感謝の気持ちで生きていくことが生命の御子としての本来の生き方です。
心の成長は本当のことをわかっていくためにあるのだと思います。本当の親の愛に包まれ、途方もない安堵感を感じて生きていけるようになるためです。
徳を増やしていく
心を高めていくために大切なものは「徳」です。徳とは自分の命と心に持たせて頂いている財産でありお金のような性質のものです。何かをしようとした時には必ず必要になります。
命の力は尽きることはありませんが、徳がないと上手に使うことができません。徳があれば命の力を思い通りに使え、効率よく心を高めていくことができます。
私たちの社会でもお金がなければ生活していくことができません。どこか遠くに行きたくてもお金がなければ電車に乗れませんので行けません。何かをしようと思った時に必ずお金が必要になるように、徳は心の活動には欠かせないものです。
徳というものはとても大切なもので、運命や環境、自分の心の状態にまで影響してきます。徳があれば心も前向きで素晴らしい気持ちで過ごすことができ、行いも積極的ですからいい結果や現象が次々と起きてきます。
徳がなくなってくると気分は悪く、何事も悪いふうにとらえてしまいますので、消極的で悪いことばかり起きてきます。素晴らしく生きられるか否かはどれだけ徳を持っているかで決まってしまうようです。
ですから自分の心を高めていくには徳を増やさねばなりません。
では徳を増やすにはどうすればよいのか。それにはには良い行いすればいいのです。周りにいかに気持ちのよい思いを感じてもらえるか考え、純粋な気持ちで行えばいいだけです。自分のためにどんなに頑張っても徳は増えません。
大親神さまの御心に沿うことが徳を増やす行いです。
本来私たちはみんな大親神さまの生命の御子同士ですから、互いに助け合い支え合うことが互いに徳を増やしていくことにもなるようです。そんなに難しいことではありません。
私たちは生きることに執着し、自分の体に執着し、自分の心に執着し、お金や物、地位や名誉にも執着してきました。私たちがこの世界で生きる目的は心を高めていくことですが、この執着心のおかげで逆に心を低くし、徳を減らしてしまう結果となっています。自分の事にばかり執着していては心を高めていくことにはなりませんし、むしろ執着は自分の心の弱さの表れです。そして自分の体や物にいくら関心があっても、それはいずれ必ず消えてしまうものです。気持ちを込めれば込めるほど失った時の悲しみや苦しみは大きくなります。わざわざ自分で苦しむための原因を造り出してきました。
地球に住む私たちの徳が地球全体の徳でもあります。私たちはずっと自分に執着し互いに争うことで徳を減らし続けてきました。もうそんな愚かなことはやめにしましょう。
大親神さまがお創り下さった素晴らしいこの世界に生かされているのですから、もっとみんな仲良く助け合って生きていけるはずです。
大親神大生命の大いなる御心に感謝し、生命の御子すべてが助け合い支えあって生きていくことが本来の姿です。
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