高度に発達した現代社会は私たちに豊かで快適な日常生活をもたらしています。活動の範囲は著しく拡大し、身の回りには物があふれ、あらゆるサービスを簡単に手にすることができます。その一方では昨年1年間に2万人の方が自ら命を断ちました。このことが何を意味しているのか。この先も未曾有の自然災害が待ち受けるこの時代に私たちは何を探し求めて生きていくのか。あらためて考え直さなければならない時なのかもしれません。
幸せを探し求めて
あなた何を求めてこの人生での日々をおくっていますか。この人生において何を探し何を手に入れようとしているのか。人それぞれ求めるものは違うかもしれませんが、最終的には生きているものであれば誰もが幸せになりたいと願っています。ではどれだけの方が幸せを実感し生きることができているのでしょうか。今までも幸福論をたくさんの方が取り上げ、幸せの定義について語られていますが、実際の幸福度はあまり高くはないようです。なぜ幸せと感じることができないのか。そもそも皆が思い描いている幸せの姿が間違っているのかもしれません。
この人生の目的は高い自分の心を創ることです。ですから本当の幸せは高い自分の心を創ることができ、それが心から実感できた時だと思います。日々の生活の中でたくさんのことを学び、知性や教養を高めることで実力をつけ、それをもとに行動することにより結果を得る。そしてより困難な課題に挑戦していくことで自分を高め、強く大きな心を創っていくこと。そんな自分を創り上げて何かの役に立っている実感こそが喜びであり、自分の存在する意義を感じられることだと思います。
このことに気が付かず苦労せずに楽に生きていくことが幸せだと思い込んでいました。極楽とかミレニアムといった苦労や苦しみのない至福の時を考えていたと思います。
何事もなく平穏な暮らし。誰しもがこのような日々を送りたいと考えていると思いますが、これだけでは幸せな価値ある人生とはならないのでしょう。人生には心を高めるための試練が必要です。
幸せとは確かな目標に向かって全霊をかけて一心不乱に打ち込んでいる最中に感じられることなのではないかと思います。お与え頂いた生命の力を精一杯使って何かを成すために頑張っている時が幸せな時であって、実際の結果はあまり関係ないのかもしれません。目標を達成できればその幸せの余韻を味わい、うまくいかなかった時は、失敗に学び再び挑戦すればよいだけだと思います。精一杯生きられることが幸せであり、そのことに感謝することで自分を高めることができるのではないでしょうか。
苦しい時ほどありがたい
今まで苦しみと幸せは対極にあるものだと思っていました。できることであれば苦しみはない方がいいし、喜びだけで生きていくことがいいことだと思っていました。ですがその苦しみが自分の心を高めるために避けては通れないことであれば、その苦しみを味わうことこそ幸せの条件となります。生みの苦しみと言いますが、人生にはその苦しみを頑張って乗り越えていくことで大きく成長できる場面が必ずあります。
今の世の中では生きる喜びよりも、生きていることの苦しみが大きくなり心の中に歪が生じています。苦しみに向き合わずその苦しみからただ逃れるために他の人にはけ口を求め、差別的な言動で相手を傷付け寄ってたかって叩きのめしてしまう現象があちらこちらに現れています。自分の行いを棚に上げた陰湿な大人のいじめです。苦しみを成長の糧として頑張って生きるのではなく、苦しみや憤りを紛らわすだけの行いです。これでは自分の心など高められるわけがないことは当の本人もわかっているはずです。でもそんな生き方しかできません。
その心の中の歪は取り除かなければなりません。ではどうすれば歪を取り除けるのか。それはこの人生においての正しく明確な目標を持つことです。何のために生きているのか、どこに向かっているのかわからなければ生きる意欲など湧いてくるはずはありません。尊い生命をどうでもいいことにしか使えなければ心は悲鳴を上げます。頑張って何かをするためには明確な目標が必要です。ではどんな目標を持てばいいのか。
まず手始めにこの地球を助けましょう。このままでは地球はダメになってしまうことは誰もが感じていることだと思います。みんなで力を合わせてこの地球の運命を変えていきましょう。
夢のような話ではなく現実の話です。でも実際に地球を助けると言ったって政治家にでもなって地球の平和を訴えることができるのはごく一部の限られた方々だけです。普通に生きている自分たちにそんなことができるはずがない。そのように思ってしまうのはこの世界の仕組みを知らないからであって、地球を助けることもやる気があればできることなんだそうです。
そのためにもこの世界の仕組みを学ばなければなりません。ただ闇雲にやったところで効果はありません。仕組みを理解し意味がわかってやらなければその力は働きません。
誰だって何かの役に立ちたいと思っています。それが自分の存在している価値であり、楽して生きることが幸せなんて心の底では考えていません。何かをしたいと思えるのは生命があるからであり、充実感、達成感が生きる喜びになっていきます。みんなで力を合わせて地球を助けるために生きていくなんて素晴らしい目標です。
そう簡単なことではありませんが、この人生において地球を助けるために生きることができれば、それはとてつもなく大きな成長となるでしょう。そしてその人生をお与え頂いた生命の大親に最大限の感謝をしましょう。
御心に沿って生きていく
私たちが今このように生きている世界は、大自然の大いなるお力お働きによりすべてが成されています。御心により現されたこの世界にはそのお力があらゆるものに働いています。
大自然の大いなる御心の一部を自分の心として私たち生命あるものすべてが頂いています。すべてを現して下さっている御心の一部を頂いているのですから、私たちの心も生命の力を使ってどんなことでもすることができます。それが地球を助けることであってもです。
今まで大自然に意志があるとは考えてもみませんでした。大自然とは人が予期できない偶発的な現象であり、何かを意図したり意味があるものだとは誰も考えていなかったと思います。大自然は人の力の遠く及ばない大きな力であり、すべてに恵みを与え、ある時はすべてを破壊する。人は大自然の力に翻弄され生きていく無力な存在でしかなかったと思います。
大自然の大いなるお力お働き 大親神大生命 すべてのものが素晴らしく成長発展していけるようにこの世界をお創り下さいました。すべてが貴き御愛の神の世界です。
そのことを実感し御心に沿って高い心を創っていくことがこの人生の目的です。御心を学び御愛に感謝して生きることで地球を助けていくことになります。今この地球に生かされているすべてのものにとって最も価値ある貴い役割です。
今まで私たちは自分が得することばかりを考え、何かにすがり何かをあてにして生きてきました。もうそんな生き方は通用しなくなります。全体の中の一人としての存在ですから、全体のこと考え全体が素晴らしくなっていくことで自分も成長発展することができます。
大自然の大いなるお力お働きによりこの地球に活かされています。そのことに感謝し地球全体が良くなるように考え生きていきましょう。誰かをあてにする必要はありません。一人ひとりの力は弱くてもみんなが気持ちを一つにして力を合わせれば大きな力となり地球は救われます。その頑張って生きた実績は必ず自分の心を高め、大きな歓びとなるはずです。勇気を出して最初の一歩を踏み出しましょう。実際に行ってみてつかんだ感覚は自分の永遠の宝となります。
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