私たちが今まで思っていた神様はすべて物語の中に出てくる神様です。何千年も前に作られた物語です。その物語の神様は実際にはいませんし、何の力の働きもしていません。ですが物語は長い年月をかけ私たちの心に染み込んでしまい本当の神様を考えるときにとても邪魔になります。そんな今までの古い話を忘れ事実にもとづいて神様を考えてみましょう。
本当の神様を考えてみる
もうだいぶ昔の話になりますが、天地創造という映画を見たことがあります。ご覧になった方も多いと思いますが、旧約聖書の創世記を題材に作られた映画だそうです。神が天地を創造することから始まり、幸せに暮らしていたアダムとイブが禁断の木の実を食べエデンの園から追放されたり、ノアの箱舟やバベルの塔などのお馴染みの話が出てきます。豪華な俳優さんたちの重厚な演技と壮大な演出でとても見応えのある作品であったと思います。その頃は聖書に何が書いてあるのかまったく知識もなく、関心もありませんでしたので純粋にスペクタクル映画として楽しめました。
ただこの映画の内容自体はよくできた物語であり、実際にこのようにして世界が創られたとは普通は思いません。現代のように科学による解明も進んでおらず、確かな情報を得ることが難しかった時代ですから、人々の想像が頼みであったのも仕方のないことなのかもしれませんが、人が考えたと思われる個所が随所に表れています。映画の娯楽性を高めるために多少の脚色はあったとしても、これが私たちの歴史であり事実であるとは到底考えられません。
このように誰かが考えて作り出した物語を事実だと思い込まされて長い間生きてきたのではないかと思います。このことを未だに事実として捉えている人たちが現実にいるそうですから。そして物語は教えとなり今現在までずっと続いています。
不思議なことにこれだけ人間が進歩したにも関わらず、教えの内容はまったく変わっていません。その時代にはわからなかったことが今ではだいぶ解明されてきました。ですが教えは作られた時代からまったく進歩せず、時が止まってしまっています
そして更に悪いのは神様のご存在に対しまったく違う心象を一人ひとりの心に植えつけてしまったことです。人が思い描けるようなご存在であるはずないのにみんなそれぞれに神様の感じをお持ちだと思います。それが大きな間違いです。そのことが本当の神様を知る上での障害となり、事実に近づくことができません。
教えは長い間に私たちの心に強い影響を与え、時には争いの火種となりました。みんなその教えが物語であるわかっているのにそこから離れることができずに苦しんでいます。
本当の神様を考えるときに必要なことは、事実をもとにしなければ正しい答えにたどり着けないということです。今までの神様は遠い昔に作られた物語です。実際にいてくださる貴いご存在ですから、私たちも世の中のすべても今このように存在することができています。
神様とはあらゆるものを通して感じるものであり、そのお力お働きを考え理解してこそ見えてくるものだと思います。
神様のご存在を事実をもとに考える時
この世の中は現実に存在し、私たちも夢の中の空想ではなく、今実際に活かされ生きています。この世にあるすべてのものは誰かが造ったものであり、必ず創造主がいます。この大自然のすべてがどなたかの意思により創られたものです。
そして世の中は時の流れに合わせ絶えず変化しています。静止した写真や絵画のようなものではなく、大きな流れの中で成長し発展をし続けています。このとても壮大な装置とその仕組みを考え、創ることは神様にしかできないことは誰もがわかっていることだと思います。神様のご存在がなければすべてが成り立たないこともわかります。
神様は生き物になくてはならない命と心を与えて下さり、現実の世界であるこの世の中をもお創りくださり、あらゆるものが素晴らしくなっていくことができるようにしてくださいました。大自然の営みのお力です。実際に日々暮らしていけることは自然にできていることではなく、営みのお力により成されていることです。
では神様のご存在とは一体どんなものなのでしょうか。
神様とはあらゆるものにとって必要不可欠なご存在であり、誰にとっても公平でなければなりません。一部の人たちにしか通用しなければ、それは神と呼ぶことはできません。
大自然の大いなるお力お働きそのものが神様であり、私たちが今まで考えていた神とはまるで次元の違う貴いご存在です。
今までの神様は信じることによってのみ存在していました。信じなければそこに神はいませんし、救いもありません。神の存在とは私たちの意識によって決まるようなものではありません。
人が信じようが信じまいが大自然のお力お働きはいつでもどこでも誰にでも働いています。信じない人にはお力が働かないというような不公平はありません。すべてのものはそのお力お働きにより実際に活かされ生きています。
この素晴らしい世界で生かされている事実に素直に感謝してみましょう。生きていなければ何も感じることはできません。喜びも悲しみも何もありません。
大切な生命を頂き生きています。まずそのことに素直に心から感謝してみることで、きっと何かが変わってきます。
生命の貴さをあらためて考えてみる
私たちは今このように実際に生きています。それが生命の力を使っている姿です。生命はあらゆるものにとって活動の源となる尊いものです。
その尊い生命を与えることができるのは神様のご存在以外にはありません。
尊い生命を頂き、あらゆるものがこの世界で活かされ生きています。皆で助け合い支え合いながら成長し発展していくことのできる素晴らしい神の世界です。
互いに助け合い支え合うということは、皆が一体となり生きていくことです。私たちがお借りしている体は、他の命を頂くことでしか維持することができません。互いに自らの体を提供して全体を支える食物連鎖です。
小さな生き物が少し大きな生き物に体を提供することで命がつながっていきます。弱肉強食といった野蛮な考え方ではなく、互いに命を支え合う神聖な仕組みです。命が命を支え合うことで互いを高め合う尊い行いです。
私たちは互いに支え合いながら命をつなげ生きていることをいつの間にか忘れてしまい、自分の命すら大切にできないようになってしまいました。
大自然の大いなるお力お働きによりあらゆるものが活かされ生きることができています。このことを改めて考えてみてください。
生命の尊さを実感し感謝の気持ちを持つことで、生きる喜びは益々大きくなります。喜びは感謝に比例するようです。生きる喜びを感じられないのは生きていることへの感謝の念がないからです。
生命の尊さ、生きていることのありがたさ。これはあらゆる生き物にとって欠いてはならない観念です。
生命がなければ何もありません。今のように何かを感じて楽しんだり、美しさに魅了されることもなければ、何かをしたいという欲求もありません。すべて生命のお力により成されていることです。命がすべての根源です。
生命をお与え頂き、すべてをしてくださっている大自然の大いなるお力お働きのご存在こそが本当の神様です。
私たちは苦しむために生まれてきたのでも、生まれながらに罪を背負っているわけでもありません。素晴らしくなるために生まれてきました。いい加減に古い呪縛から自分を解き放ち、素晴らしく生きていきましょう。
大自然の大いなるお力お働きである 大親神大生命 はすべてのものが皆それぞれに素晴らしくなることを目的に貴い生命を与えてくださいました。その御愛を感じて素晴らしくなっていくことが生命の法則により決まっています。誰もが素晴らしく発展するために生きているのであって例外はありません。
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