いのちはあらゆるものにとっての活力の根源です。生命の力でこの世界のすべてが現され営みを続けることができています。ですが私たちは普段の生活の中で命のことを考えたり、そのお力お働きに感謝することもありません。
新しい命の誕生や人生の終わりといった節目にだけ命のことを考えるのではなく、日々の暮らしの中で命のことを考え感謝して生きていく必要があります。
いのちは変えていく力と働き
大自然の大いなる生命のお力お働き 大親神大生命 大自然の大いなる世界を現して頂き、この世界のあらゆるものは大いなる生命のお力お働きにより生きることができています。
この世界は生命のお力により現され、その営みの力が時をつくりすべての生き物を育んでいく壮大な仕組みのもとに成り立っています。大自然という生命の大親の御愛の世界です。
時があることで心や物質が存在することができ、その活動は時の経過とともに刻々と変化していくことができます。あらゆる生存の活動は変化をともなう動きのあるものであり静止した状態はありません。この世界全体を動かしているものが生命のお力お働きであり、その中であらゆるものが育まれています。
生命とはあらゆることを成り立たせ、より発展させていくお力お働きでありこの世界のすべてを動かしている根源です。私たち一人ひとりもそのお力お働きにより今このように生きることができています。そのお力お働きによりすべてのものは発展し、上向いていく定めにあります。
命あるもののすべてがこの世界に生まれ、少しずつ成長を重ねながらたくさんのことを体験し、様々な思いを味わいながら心を満たし広げていく。一つひとつの心がより良く発展するに従い全体としても広がりを続けていく。この営みのすべてが大自然の大いなる生命のお力お働きです。
ひとりずつ生まれたものが、成長しやがて夫婦という対となり新しい生命を宿し誕生させる。一つの細胞が分裂して二つになる。こんな単純ながら神秘的な現象こそが生命のお力お働きのような気がします。何もないところから誕生し、拡大発展しまた何もなくなる。この絶え間ない繰り返しによりこの世界は成り立ち、すべてののものを現し育んでいます。
この世界自体が生命であり、すべてのものをお力お働きにより生かし育ててくださっています。
自分の生命を実感してみる
大自然の大いなる生命のお力お働きにより私たちも活かされています。その大いなる生命の中で自分の心と身体を与えて頂き、大自然の営みにより成長発展していく道中を歩んでいます。
普段の生活ではまったくそのことに気付かず、何の感謝もせずにこれまで生きてきましたたが、身の回りのあらゆるところに生命の力が働いています。
私たちは自分の身体を使えることになんの疑問を感じることもありません。本当に何の気なしに当たり前のように使っていますが、自分の身体にも生命の力が働いています。身体の機能を保つためのことはそのほとんどが自分の意識の外で行われています。例えば内蔵はほとんど休むことなく働いていてくれます。心臓は生まれてから死ぬまでの間一度たりとも止まることはありません。意識的に動かさなければならないものでしたら、何度止まっていたか想像することすらできません。ほかの臓器も同じです。何の気なしに身体を使い生活していますが、すべて生命のお力お働きがあるからです。身体に生命の力が働かなくなればすべての動きが止まってしまいます。
私たちは今、生命のお力お働きにより実際に生存し活動をしています。自分にも生命の力が働いているからこそ、日々の暮らしが成り立っています。身体の機能はもちろんそうですし、生きていくための活力や気力、何かをしたいと思う気持ちのすべてが生命の力より出ています。自分のすべてが生命のお力お働きにより出来上がり、成されていることですから生命の力を感じられないはずはありません。そして自分に働いている生命を感じることこそ、生命の大親とのつながりの始まりではないでしょうか。
大自然の大いなる生命のお力お働きは私たちすべてのものに働いています。気付こうが気付くまいに関わらず働き続けていてくださいます。
やっと私たちもそのことに気付いて考えられるまでに育てていただきました。まだ未熟な動物たちはそのことを考えられるまでに成長はしていませんから、この地球で生命を実感しそのお力お働きに感謝できるのは私たち人間だけです。
大自然の大いなる生命
大自然の大いなる生命のお力お働き 大親神大生命 御心の御愛によりすべてをしていてくださっています。この世界を現し営んでくださっていることすべてがそのご意志により成されていることです。
この世界には一体どれだけの生き物がいるのでしょうか。まったく想像すらできませんが、生命の大親はその一つひとつが素晴らしくなっていくことを願い御愛を注いでくださっておられます。命には上下の差別はありません。たとえどんなに小さな命であっても同じ大切な命です。そのことを私たちはもう少し真剣に考えていかなければなりません。
私たちは生命の大親のご存在も御心もまったくわからずに、自分たちがそれぞれに考えた神仏に手を合わせ心の拠り所にしてきました。実際の生命とはかけはなれた空虚な神仏にすがり、自分の願いを叶えてくれるよう祈りました。まったく馬鹿げた行いです。大いなる生命のお力お働きにより生かされている私たちが、なんの関係もないものを拝んだところで気持ちが届くわけはありません。気休めにもならない愚かな行いでした。
命のことをもっとよく考え、そのありがたさを感じて生きていきましょう。私たちは自分の命すら感じることができずに今まで生きてきました。人の歴史は争いの歴史です。一体どれだけの命を奪い今まで生きてきたのでしょうか。
この地球では人と人とが争い合い殺し合うことが日常となってしまっています。人を殺すための兵器を競って開発し、軍備を果てしなく拡大させて使う時を待っています。敵とみなしている相手も同じ地球に住む人間です。人と人とが殺し合うことに正義も悪もありません。こんな異常なことがまかり通っていることに誰も声を上げようとはしていません。自分の命のありがたさを感じていれば、相手の命を奪おうとは決して思わないでしょう。
ともかく自分の中の生命のお力お働きを感じるところから出発しましょう。今この瞬間も生命のお力お働きにより実際に生きているのですから必ず感じることができそうです。生命のお力お働きはすべてのものにありますから、誰であっても感じることができます。
生命を感じることができれば、本当にすべてのものが大自然の大いなる生命のお力お働きの中で活かされ生きていることを実感でき、この世界のすべてが当たり前ではなく、御心により成されていることに気が付くきっかけとなるでしょう。
私たちのような生き物だけでなく、地球や太陽、そして広大な宇宙でさえも生命のお力お働きにより現されています。あまりの大きさに最初は戸惑ってしまうかもしれませんが、少しずつ考える範囲を広げることにより、すべてを知り、大自然の大いなる生命のご存在にたどり着くことができると思います。
実際に生きているものが、その生命のお力お働きに感謝する。そんな当たり前のことがこの地球ではまったく行われてはいません。
生命のお力お働きを実感してみること。一人ひとりが生命を感じ、御心に感謝して生きていければ今ある問題はすべて解決するかもしれません。
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